『お前が言うな』は非合理である

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『お前が言うな』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

人と人とが共存する社会である以上は、他人の事を思いやる感情が必要不可欠です

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は『お前が言うな』という言葉についてです

本ブログで何度も何度も何度も書いてきた事ではありますが、人は合理性だけでは生きてゆく事が出来ません

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いくら合理的な人であっても、入社30年目のベテラン社員が入社後初めて会社に遅刻した時に、入社後100回は遅刻している入社10年目の若手社員が「せんぱ~い、頼みますよ~」とヘラヘラ顔で言って来たら、腹が立つと同時に「お前が言うな」という気持ちが沸々と沸いて来るでしょうし、自分が何度お前の尻拭いをしてあげたと思うのか、という気持ちになるでしょう

ただし、この感情は合理的・論理的では一切ありません

合理的に判断して、公の場では今回は自分が悪かったとするかもしれませんが、「次にこいつが遅刻してきた時は糾弾してやろう」という気持ちになるはずです

または、「こいつが何らかの窮地に陥った時に見捨てよう」という気持ちになるはずです

そういった『やり返したくなる感情』というのは誰にでも芽生えます

日本の数学会の偉人である岡潔氏はこう言っています

「人の中心は情緒である」と

上記の様なマイナスの意味合いでも合理や論理よりも情緒を優先する様に、人間にはプラスの意味合いでも情緒を優先するべきと説いています

全てに於いて合理を優先する生き方は人の生き方ではなく、人は自然と繋がってこそ正しい行いが出来ると考えています

 

後輩の側に立った時、自分がいつもお世話になって、迷惑をかけている先輩に恩返しが出来ると喜んで尻拭いをするのが正しい生き方であり、今この時に迷惑をかけられたからと言って先輩を糾弾するのは侫人と言えるかもしれません

人と人とが共存する社会である以上は、他人の事を思いやる感情が必要不可欠です

その思いやる感情というのが行き過ぎるとそれはまた生きにくい社会には成り得ますが、多少は思いやる感情は必要な物なのです

というお話でした

 

 

追記

中国の古い諺に本題の内容にピッタリな格言がありましたのでご紹介します

『先ず隗より始めよ』