初めまして
melloと申します
今回のテーマは『理解と納得』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
人間関係に於いて、論理的であるかはそれほど重要ではない
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は理解は出来るが納得は出来ない、といった言わば論理的に矛盾しているかの様な言葉についてです
意見が対立している人間同士の話で、相手の意見に対して言う言葉ですね
しかし、論理的に考えれば、理解が出来ているのなら納得なんかせずに、賛成か反対かしろよというお話になります
つまり、この言葉というのは相手の立場を尊重したり、本当は相手の方が正しいという事を分かっているけれど賛成出来ない人間の言葉という事になります
すなわち、論理ではなく情緒(感情)で判断しているという事です
私は、以前の記事にも有ります様に、全ての物事に対して論理的・合理的に判断するべきではないという立場です
人の心が介在する問題に関しては、論理以外の物も重要であるからです
最適解と最善解の違いの様な物です
私の趣味の範囲で言うと、将棋と麻雀が例に出せると思えます
将棋というゲームはどんな場面であれ、最善解…つまり最も正しい答えがあります
どんなに将棋の上手い人間でも選びたくない、若しくは選び難い最善解があります
それは変化が膨大で読み切れない手であったり、何か読み逃しが発生した時に自玉が危険に晒されるという選択肢です
そんな、人間であれば尻込みしてしまう場面に於いても、最善解というのは存在し、飛び込むべき局面というのが存在します
どうしたって人には心があるのに
それを抜きにして物を考えるのが合理的であるなんて、それこそ不合理だ
論理だけで生きられる人間は普通では無いし、きっと精神的に異常のあるサイコパスなのでしょう
しかし、普通の人はどうしたって心を無にする事は出来ないのだから、それだったら最初から心を無にする事を考えるべきではありません
そして、それは人間が二人以上存在して初めて成立する『人間関係』に於いてはさらに顕著に現れます
他者と意見が対立した時、どうしても相手の意見が間違っていて自分の意見が正しいと思ってしまう時に相手を「感情論で考える馬鹿」と謗るのは、サイコパスなのではなく、単純に道徳心が育たなかっただけの俗人であり、教育者の教育が悪かっただけです
特別でも何でもありません
人間関係に於いて重要なのは、論理的に正しい事ではなく、相手を慮る気持ちなのです
『相手の事を思っての行動』という言い訳は、まさしく相手を思いやる気持ちの欠如から発せられる言動です
真に相手を慮って発言する言葉には、論理的で無くとも人を納得させられ、時には人を突き動かす事の出来る説得力を持つのです
というお話でした