初めまして
melloと申します
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
論理を追求しても良い結果になるとは限らない
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は以前の記事の番外編、ゲーム理論についてです
囚人のジレンマやコーディネーションゲーム等が有名ですね
内容としましては
とある犯罪の囚人二人を別々に隔離して尋問し、自白するか黙秘するかを迫りますが
二人とも黙秘した場合、懲役2年
二人とも自白した場合、懲役10年
片方が自白し片方が黙秘した場合、自白者は無罪・黙秘者は懲役20年
という物です
協力すれば二人で合計4年の懲役で済みます(これをパレート最適と言います)
裏切れば最高で無罪です(これをナッシュ均衡と言います)
巷に溢れる『合理的』とは大抵の場合、ナッシュ均衡を指していると思われます
本当は、全員がパレート最適を志向すれば一番最高な形になるのですが、一部ナッシュ均衡を志向する人がいれば、パレート最適を志向する人が割りを食う事になります
以前のIPOの記事でも似たような事を書きました
企業が出した商品を転売ヤーが買い占めて、市場に商品が供給されない状態にして、商品を買いたい人に対して企業から買った商品の値段にプラスアルファの料金を足して販売する
という行為
転売ヤーを抜いて考えると、企業が商品を販売する、買いたい人が企業から購入する
とシンプルになります
さらに顧客の支払うお金はそのまま企業に渡り、企業側はその商品の人気を元に後続作品を作りやすいというエビデンスにもなります
顧客としては、その商品を買うことで企業に商品のファンがこれだけ居るという事を知れせる事ができます(フェアトレードというやつですね)
転売ヤーを間に挟んでしまうと、顧客がその商品に出せるお金の量や情熱を企業が正しく理解することができなくなってしまいます
よくPS5を例に出して
「転売ヤーが買いきれないくらい商品を製造すれば良い」と言いますがこれは無責任と言うものです
企業は転売ヤーが買い占める量+本来の顧客のニーズの全てを満たす量を製造しなくてはいけないのに対し、転売ヤーはそういった超大規模製造量を察知したら買い占めしないという選択肢が取れます
そうすると、本来は転売ヤーが買い占める量が市場にダブつきます
ダブついた商品はどうするかと言われれば当然安売りされます
安売りされるという事はつまり、企業か販売店が被害を被ります
被害を被るという事は企業はその商品の開発・改良を辞めます
企業も株式会社である以上仕方がありません
利益を上げないと株主に対して不誠実になるからです
これが以前の記事で言っていた企業と顧客の絆や愛着といったものです
転売ヤーを否定するとよく聞く反論として
「商社も同じビジネスモデルだ」という反論がありますが、これはおかしいです
商社の場合、A国で売られている商品をB国で売るという行為をしている訳ですが
A国で売られている商品をB国は知らないという事が、ままあります
さらにはB国で販売する為の販路(どの企業を通して売るのか)や運送(どの企業を通して運搬するのか)や税金関係(どの国にどの程度税金を支払わなくてはならないのかの調整)や販促活動(B国にて需要の促進・宣伝)など、一企業がやる事にしては多岐に渡ります
さらに、上記の事を現地企業を利用した方が良いのか、自前でやってしまった方が良いのか等の調整も行います
つまり、外見上は商品をX地点からY地点に移動しているだけでお金を稼いでいる
と見える行為であっても
X地点からY地点に移動している間に、一度商品を掠め取って何の付加価値も付けずに利益だけ貪っている転売ヤーとは意味が違うのです
まさしくナッシュ均衡的考え方ですね
転売ヤーは転売ヤーでも、小さな商店街の中にある行きつけの古本屋にて、ネット上ではもっと高値で売られている絶版本を見つけて、買ってネットで売るというのは、まだ理解ができます
そもそも絶版本であるために出版社から購入する事も出来ない本ですし
そんな本が日本全国の本屋の中でどこに売られているのかなんて一個人には分かりようがないですから
これは、付加価値を付けていると考えても良いと思います
値段は応相談ですが、基本的にこれはパレート最適と言っても良いと思います
世間では『合理的である』という事を神格化してしまっている風潮があると思いますが、数学理論であるゲーム理論的には否定されています
一昔前は他者に対する批判として「頭でっかち」や「理屈っぽい」という言い方がなされていましたが、この批判はあながちおかしなものでもないのかなという印象です