初めまして
melloと申します
今回のテーマは『差別意識』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
合理的に考えて「そんな訳ないやろ」と思う事を皆が信じれば差別は減らせる
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は昨日の記事の反論的な内容ですが差別についてです
差別や偏見については、それ以前にも取り上げた事があります
古来、科学が現代ほどは進歩していない世界では、祟りや呪い、神と言った非科学的な事が信じられていました
それこそ、田畑が凶作なのは先祖の墓を大事にしていないからだとか
子供が水疱に罹ったのは両親が他人に対して不道徳だった罰だとですね
今考えれば誰もが「そんな訳ないやろ」と思う事のオンパレードです
世界は無意味に不条理であり、最も尊い存在が最も不合理な目に合う事もしばしばあります
だからと言って、人は「仕方がないね」とか「運が悪かったね」というのでは納得できないのです
何らかの因果関係がこの不幸を引き寄せたのだと言って解明したくなるものです
昔の日本では按摩師という職業がありました
イメージとしては接骨院やマッサージが近いでしょうか
そしてこの按摩師という職業は盲目の方が多かったそうです
これは江戸時代に居た有名な鍼灸師の影響が大きい様です
名前を杉山和一(すぎやまわいち)と言います
この方は、盲目の鍼灸師であり按摩師であり、また、盲人に対して鍼灸師や按摩師になる為の教育を施す機関である、杉山流鍼治導引稽古所を開設しました(按摩・鍼・灸の頭文字をとって、あはき業と言ったりもします)
江戸時代という戦争もない豊かな時代に、盲人は家族の重しとなる存在でしたが、鍼灸師や按摩師であれば手に職が付けられるという事で、多くの弟子がこの稽古所に所属したと言います
また、一般的には、なぜ身体を摩ったり揉んだりするだけで身体が軽くなるのか分かっていない時期でしたから、そこに神秘性を求めました
つまり、「盲人として生まれたこの人はきっと来世に偉いお方になるはずだ。そんな方に摩って貰えばきっと良くなるはずだ」という意識です
だからこそ、盲人の按摩師は喜ばれましたし、盲人の按摩師からしてもお客が途絶える事はありません
win-winの関係という訳ですね
ですが、冷静になって合理的に考えて、盲人に身体を触って貰う事が自身の身体に好転する事ではありませんし、家族に幸せが訪れるというのもそれこそ因果関係はありません
合理的にだけ考えれば、盲人の人間は切り捨てられるべき存在と言えます
つまり、差別を助長しているのは合理主義者であるとも言えます
合理的に考えて「そんな訳ないやろ」と思う事を皆が信じれば、盲人は手に職を持って自立する事が出来ますし、差別は減らせます
というお話でした