現実を見ろという主張に思う事

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『現実』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

自分では成る事が出来ない姿を『夢を見ている』と馬鹿にしているだけ

人に『現実』とやらを説く前に夢を実現する努力をしたのか?

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は『夢を見るな現実を見ろ』という主張に関してです

夢を見る事、それ単体を否定する人は少ないと思います

というか以前にも記事にしました様に、私は個人的には、人生に於いて全てを合理だけで生きるのは精神上に何らかの問題があるのではないかとも考えています

melloblog.hatenadiary.com

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で、あるならば夢を持つ事、そしてそれを望む事というのは普通の事であり、当たり前の事と言えます

男の子が、小さい頃に将来は『プロ野球選手になりたい』と思ったり『俳優になりたい』と夢を見る事は微笑ましいお話です

女の子であれば、『お姫様になりたい』や『アイドルになりたい』ですかね?(私は男性であり幼女の願いは分かりかねますので、あくまで予想ではありますが)

この4っつの夢の内、一つは努力では実現不可能であり、三つは努力で実現が可能です

実現不可能な夢は『お姫様になりたい』です

これは厳密に言えば、両親のどちらかが国王であったり女王である必要があります

日本国に生きる以上は、国王は天皇陛下であり、他の王朝の存在は有り得ません

なので、日本国で生活する以上は姫になるという夢は実現が不可能であると言えます

が、プロ野球選手や俳優やアイドルというのは個人の努力次第でなる事が可能です

四肢が欠損していて野球選手になるのが難しいというのは、将来に義手や義足の技術が向上すれば不可能では無いかもしれません(野球のルール上、義手や義足が通用するのかどうかは知りませんが)

容姿が端麗ではないからと俳優やアイドルになるのが難しくとも、技能がある人はなれますし、最悪外科整形手術という手もあります

つまり、これら三つの夢は努力次第で実現が可能であると言えます

その過程で『やはり自分には才能が無いから夢を諦める』というのは、不可能であった結果ではありません

もちろん諦める事は悪い事ではありませんし、諦めた先で新たな夢が見つかるかもしれません

 

ここで言いたいのは『現実を知った』というの言い訳にして、元々実現不可能な夢であったと結論づけるのは短慮であるという事です

努力すれば叶う、もしくは叶ったかもしれない夢を、努力をするのを怠けた言い訳として『現実』という言葉を使っていないか?という事です

例えば、『童貞は、清純で黒髪で優しくて処女の女の子を選びがち』と良く言われます

で『現実にはそんな女の子なんか居ないのに童貞は女に夢を見ている』と評します

これは果たして『夢』なのでしょうか?

まず、夢なのであれば、実現が可能な夢なのか、実現が不可能な夢なのかを決める必要があります

赤字の『』書きの部分、これは十分に実現が可能な話です

清純で…何を持って清純かというのは定義が曖昧な話ですが、逆に不純であるというのは漠然と理解出来ると思いますのでそうならなければ良い話です

黒髪で…日本人は元々黒髪の単一民族ですから、自らの意思で染髪しない限り殆どの人は黒髪でしょう

優しくて…これこそ心うちの話ですから何時からでも実現が可能です

処女の子…これは女性であれば最初は誰でも処女ですから十分に実現が可能でしょう

と言う事で、赤字の『』書きの部分は十分に実現が可能な夢と言えるでしょう

 

次に青字の『』書きの部分です

現実にはそんな女の子なんかいない…上記のようにそんな女の子は十二分に実現が可能ですから居ない事の証明にはなりません

童貞は女に夢を見ている…本記事の冒頭部分にもある通り夢を見る事は悪い事ではありませんし、夢の無い人生は精神に問題があります

 

さて、では童貞に望まれない女性は悪いのか?

答えはNOです

そもそも女性側に『童貞に好かれなくてはならない理由』がない限り、童貞に好かれる必要が無いのです

相手が意中の相手である、接待として好みの人物になる必要がある

必要があるのはそのくらいでしょうか?

私がこの問題で思うことは、童貞が理想の女性を押し付けてくるのと同様に、女性も童貞を『おっさんで不細工で禿げている』ような、所謂ステレオタイプの童貞を押し付けているのではないか?という事です

私はこの様な理想の女性を追い求める事単体を悪だとは思いません

これは性別を変えれば白馬の王子様を待つ女性と同じだからです

にも拘わらず女性が、清純で黒髪で優しくて処女の女の子を好む男性は全て上記の様なステレオタイプの童貞であるという逆説を唱えるのは道理が通りません

 

『現実』などと尤もらしい事を言うくらいなら、童貞に好まれたいのであれば好みに合わせれる努力をすれば良いだけですし、童貞に好まれたくないのであれば自身の好きに生きればいいのです

自分が男性に好まれないのは、自分が努力したくない方向へ男性(特に童貞)が世論操作をしているからだと思うのは勝手な陰謀論に過ぎません

自分では成る事が出来ない姿を『夢を見ている』と馬鹿にしているだけであり

人に『現実』とやらを説く前に夢を実現する努力をしたのか?という話です

童貞に好みを寄せるのか、自分の好みに寄せるのか、それは自分次第です

というお話でした