サイコパスに対処する方法は人狼ゲームである

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマはサイコパスに対処する方法についてです

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

サイコパスは人に対する配慮が著しく低いので、その様に感じたら集団から排除する

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回はサイコパスについてです

以前の記事にて、私の中の定義として『合理性だけを全ての事柄に追求する人』という事を書きました

 

melloblog.hatenadiary.com

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まぁつまりは我々一般人からしたら、基本的な道徳心という物事の判断の出発点から違った人間という事になります

有名な話に、『トロッコ問題』というのがあります

簡単に言いますと

 

貴方は線路の分岐点に居ます

分岐の先には5人の人が作業している先と1人の人が作業している先があります

そこにスピードオーバーして、一目見てブレーキが壊れたのであろう列車が突っ込んできました

今現在の分岐のままだと5人が作業している方向へ行ってしまいます

貴方は分岐を変えますか?変えませんか?

 

何もせずに居ると5人の人間が犠牲になるけれど、貴方の行動で1人の人間を殺すことが出来ますか?

という問題ですね

一般人の回答としては「5人が助かるとは言え、他の1人を犠牲にして良いのか?」という葛藤と戦い、人によっては変えたり変えなかったりになるでしょう

合理性を考えたのなら「自分の行動一つで、差し引き4人助かるんだから考えるまでもなく、断然1人を犠牲にする」となるのでしょうし

さらにサイコパスになると「自分が得をする訳でもないのだから何もしない。むしろ分岐を変えるという自分の労力をかけた分、損をしている」となるのでしょうか?(私はサイコパスではないと思うので、想像でしかありませんが)

 

実際の行動としては、サイコパスの人は一般人と同じ行動を取っている様にも思えます

ただし、その内情は天と地ほど違います

そのまま5人を犠牲にしてしまった場合、一般人は自分の行動を後悔したり「本当にあれで良かったのだろうか?」と自責の念に苛まれる事でしょうが、合理性の人やサイコパスなら「事故を起こした列車の運転手や鉄道会社が悪い」と責任転嫁をするでしょう

確かに事故の責任という話になると、運転手か鉄道会社に刑事責任を問うという事になるでしょう

ただ、感情的な話として貴方が分岐点に立つ人以外の人間だった場合、分岐点に立つ人に合理性の人やサイコパスに立って欲しいと思うでしょうか?

このお話が物語として、小説や漫画或いはテレビドラマや映画になる時に、作者は分岐点に立つ人にサイコパスを持ってくるでしょうか?

多くの作者はそこに一般人を置き、その心の葛藤を描く事でしょう

そこに人の心を揺り動かす感動があるからです

つまり、このお話が作者が思い描く理想の物語となる時、サイコパスは排除されているのです

であるのであれば、現実世界であってもサイコパスは排除されるべきなのです

ただ、排除といっても「逮捕しろ」とか「イジメても良い」とか言う訳ではありません

集団の中から追い出すべきという事です

集団という事であれば、そこに多くの一般人が居る訳です

サイコパスが有能であるという証明は、周囲の人の評判で持ってある訳です

ですが、前述のとおり、サイコパスには道徳心という物はありません(道徳心が無いからサイコパスなのであるので、その逆も言えるという事)

一緒に働く或いは一緒に生活する上で、相手が道徳心を持っていない人物であった場合の一般人のストレスや恐怖というのは一般人だけに押し付けられる訳です

サイコパスが排除された集団というのは、相手に全幅の信頼を持っても良い集団という事になります(相手と馬が合わない=相手はサイコパスだ、という訳ではありません)

では、相手がサイコパスであるかという証明は出来るのかと言われれば難しいというよりありません

なので、『人狼ゲーム』なのです

「私は人狼ではありません」と主張する相手は信頼に足るのか、という事を一緒に居る間ずっと続ける訳です

或いは「○○は人狼である」と主張し続けるという事です

人狼人狼であるという事をひた隠しにしなければなりません

人狼ではないという証明の為に、道徳心を持っている振りをするでしょう

それで良いのです

道徳心に答えなんてありませんから、「この場面では道徳的にどうするべきだろう?」と自問自答し続ける人の方が良いに決まっています

サイコパス人狼ゲーム的に、集団から追い出すという行為を大いに行う事により、サイコパスにも道徳心を持つように促せます

 

小説家 伊坂幸太郎氏の小説 死神の浮力にこういった表現があります

アイヌ民族の中では、集団の中でサイコパスと思われた人物を氷の崖から突き落として集団から排除する』

私が調べた限り、アイヌ民族にそんな習慣はありませんでしたので、フィクションであると言えます

そもそも、『死神の浮力』という小説自体がフィクション小説ですから、内容がフィクションであっても普通と言えます

私が言いたいのは、(フィクションですが)アイヌ民族という生きるのに厳しい土地に住む住民であっても、比較的有能であり、能力が高いとされるサイコパスを排除しているという事です

であるのであれば、生きるのに易い我々が住む場所に於いて集団では、決して全幅の信頼を置けないサイコパスを礼賛する必要は微塵もないだろう、という事なのです

というお話でした