他人を信用していない、などと言うのはただの中二病

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『人は一人で生きれない』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

結局の所、どこかで他人を信用しないと生きられない社会になっている

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は他人を信用するという事についてです

漫画や小説には度々出てくる言葉があります

「俺は誰一人として信用していない」

ただ、この考えはあまりに稚拙です

人は現代社会に生きる以上、誰しもが多少は他人を信用しなくは生きてはいけない様に設計されています

それは高度に成長した文明に依存しているからです

誰も信用しないというのであれば、スマホや携帯電話は持てません

誰がバックドアを仕掛けているかわかりませんし、盗聴や盗撮されているかもしれません

アップルにせよグーグルにせよソニーにせよ、誰かが悪意を持ってハッキングしている可能性はゼロではありません

であるならばスマホを持たない生活ができるのか?

と言われれば現代社会では不可能です

就職するにしても電話番号は必ず必要です

何らかの会員登録をするのにも必要になります

「じゃあ分かった」と、誰か第三者名義で携帯を契約させて、自分が使うという方法を取るという事にしたとしても、そのスマホで使用するネット履歴というのはインターネットに残りますし、通信会社にも残りますし、そもそもが法律違反ですから多大なリスクを抱えることになります

なので、最終的にはどこかで折り合いをつけて『ここならまだ比較的信用できる』という所で契約するしかありません

スマホだけではありません

住居に関しても、もしかしたら大家が隠しカメラを仕掛けているかもしれません、盗聴マイクを仕掛けているかもしれません、貯水庫に動物の死骸が入っているかもしれません、その住宅に至るまでの水道管の何処かに錆が混入する場所があるかもしれません

食事はもっと顕著ですね

外食であれば、厨房でどんな人間がどんな器具でどんな料理の仕方をしているか分かりません

食材に関しても本当に正しく運用されているかなど一般人には分かりません

それこそ川越シェフでないと分からないんじゃないでしょうか

 

もし、本当に『他人』を徹底的に信用しないというのであれば、それこそ山奥に住むしかありません

まさに仙人の様な生活をするしかないのです

霞を食べて生きていくのであれば、他人を信用せずとも生きる事が可能でしょう

ですが、現実問題人間は霞だけでは生きては行けませんし、青木ヶ原樹海の中で生活は出来ませんし、テクノロジーを拒否して生きていく事は出来ません

『他人を信用しない』というのは簡単ですが、それは本当に苦行になります

製造方法の分からない石鹸で身体を清潔にする事も出来ませんし(習慣的な入浴に否定的な私ですら難しいと思います)

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食器類や部屋の掃除に使う洗剤も使用出来ませんし(大抵の汚れはお湯で落ちると考える私でも難しいと思います)

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誰が製造したか分からない剃刀も使えませんからヒゲも生え放題、誰が製造したか分からないし他人が切る散髪にも行けませんから髪も伸び放題になります

ぱっと見で浮浪者風情の人間の出来上がりです

そんな人間が「俺は他人を信用していない」などと言って誰が尊敬するでしょうか?

身綺麗な人物が「俺は他人を信用していない」などと言ってもそれはただの中二病です

『他人を信用してない俺カッケー』と思いたいだけです

現代社会では、他人を信用する所は信用し、警戒する所は警戒しなくてはならないのです

その塩梅が難しいからこそ、現代社会で人間関係がよく問題になるのです

結局の所、どこかで他人を信用しないと生きられない社会になっている

というお話でした