初めまして
melloと申します
今回のテーマは『哲学的ゾンビ』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
ゾンビ相手に真面目に対応してあげるのは馬鹿馬鹿しい
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は哲学的ゾンビについてです
「ゾンビが哲学をするのか?」という疑問は尤もですが、意味をwikiから引用させて下さい
哲学的ゾンビとは、心の哲学で使われる言葉である。「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義されている。
引用終わり
定義が難しいので嚙み砕いて説明すると
自分以外の人間は全て、行動が事前にプログラミングされた通りに動いているだけのゾンビであり、傍目にはゾンビと分からない見た目ではあるが自由な意思などは無い
という事です
何度か本ブログにて引用している『我思う、故に我在り』という言葉と似たような考え方ですね
今回は、『人の目が辛い』や『私は嫌われている』という被害妄想気味な人が少しでも気が楽になる考え方としてご紹介させて頂きます
以前の記事でも何回か触れていますが、私は今まで所属してきた全てのコミュニティーに於いてイジメを受けて来ました(被害者である私から見た感想ですが)
私は人の目から見てイジメ易く・イジメたくなる人間なのでしょう
当然、私はイジメられたくないのでそういう風に見えない様に努力します(毎回失敗している訳ですが)
その過程で『人の目が辛い』や『私は嫌われている』という考えを持つ訳です
そうすると益々人が離れ、孤独になる訳です
そういう風にして10数年過ごしてきた訳ですが、そんな時に哲学的ゾンビという考え方に出会いました
お笑い芸人の鈴木拓 氏の考え方に似ているのかもしれません
そうやって考えると気が楽になりました
もちろんこの『哲学的ゾンビ』という考え方一つで変われた訳ではなく、他にも色々な要素があったとは思いますが
他人なんて自分に対して、大した利益をもたらさないんだから最初から居ないモノとして考えよう
他人が自分にどんな心証を持っていようと、自分に不利益が無いのなら放っておこう
などですね
なにせ相手はゾンビですから、まともに相手してあげても何の意味も見返りもありません
真面目に相手してあげる方が馬鹿馬鹿しいというものです
もちろん中には自分の考え方などに波長の合うようにプログラムが組まれているゾンビが居るでしょう
そういったゾンビとだけ仲良くしておけば良いのです
当然ですが、ゾンビとは比喩なので噛んできてTウイルスが感染するなんて事はありませんから
私もそうですが、「時間をかけてしっかり相手と向き合えばいつかは分かり合えるはずだ」と、相手に配慮し、慮る事を続けていくと、人間付き合い自体が嫌になります
以前の記事の通り、私はもう自分を変える事は難しいと思いますが
10代の若い子がこんな風に悩んで自己形成に難儀しているのであれば、『哲学的ゾンビ』的考え方をもって、他人なんて大したものじゃないという事を理解してもらいたいです
慎み深さを持つという事と、他人に過剰に配慮するというのは違うのです
ただ、ゾンビ相手だからと言って不道徳な行為や不遜な態度を取って良いという訳ではありません
それは、相手が嫌な思いをするというのは当たり前なのですが、それ以上に貴方の心の中に膿となって溜まっていく事になります
そんな事を続けていくと、貴方の心の中で「ここまでは失礼に値しない」というラインを少しずつズラしていく事となり、結果として身寄りや友人という存在が遠ざかっていくのです
直接的に相手に失礼な態度を取った訳でなくとも、他の人に対する態度で貴方を判断されたりするのです
有名な例として
貴女は女性で貴女の彼氏は貴女に対しては凄く優しくしてくれます
しかし、一緒に行くコンビニ・ファミレス・銀行などの対応をしてくれる人物に対して失礼な態度を取ります
貴女はいつしか彼氏に対する恋情が薄れていくのを感じます
といった風に
この例では彼氏である男は、おそらく彼女がとても大切で深い恋愛感情を抱いている事でしょう
彼女が喜んでくれるなら何でもするし、嫌なことなら代わりにやってあげるくらいの優しさを持っているかもしれません
それでも彼女から愛想を尽かされるのです
ここで、「やっぱり女は男を顔か金で判断しているんだ。最低な奴らだ」と考える男は多いのです
そしてそこで思考停止し、女を恨むような性格になります
『相手はゾンビである』という仮定は、心の苦しい人には救いになりますが、あまり頼りすぎると相手が人であるという道徳心をすり減らしていくことになります
というお話でした