その労力を他の事に振り分けろよという指摘は的外れ

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『労力』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

何に労力を費やすかは人に強制される物では無く、自分の自由意志で決めて良いのです

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は労力についてです

私には昔から嫌いな口ぶりがあります

「その労力を他の事に振り分けろよ」

という様な言動です

これは学生相手なら「そんな事してる暇があるなら勉強しろ」になりますし

社会人なら「そんな事してる暇があるなら仕事しろ」になります

現代的な言葉で言うのならば、『才能の無駄遣い』などもこれに当たるかもしれません

こういった口ぶりをする人が言いたい事としては「本業に邁進しろ」という事です

確かに、学生ならテレビゲームをしている時間やアニメや漫画を見ている時間を、そっくりそのまま勉強に充てれば学業の成績は向上するでしょうし

社会人であるなら翌日の仕事の為に休息したり仕事に関する資格勉強を行って資格を取得すれば企業にとって、より魅力的な人材となり、転職する際の市場価値の向上に寄与するでしょう

ですが、人間はロボットではありません

本来やらなくてはならない事以上にやりたい事をしたくなるのは仕方がありません

しかし、それでは現代社会を構成する根本部分を支えきれません

だからこそ、国民の3大義務として勤労の義務というのが存在しますし、勤労の対価として金銭を受け取るというシステムになっています

ですが、それは盲目的に大資本家に隷属しなくてはならないという事ではありません

労働者と資本家(企業)というのは本来は対等な立場です

資本家は労働力が欲しい、労働者は金銭が欲しい

だから契約として一日8時間を週に5回、資本家の望む労働を行う代わりに〇〇円という金銭を労働者に支払うという条約を結びます

なので、契約的に言えば仕事の時間である8時間以外や休みの日の2日は労働者は何をしていても良いはずです

ですが「その労力を他の事に振り分けろよ」という言葉は、残りの16時間や2日の使い方を勝手に決める行為です

前述した通り、確かに契約外の時間にも本業の為に時間を使った方が自分の市場価値の向上に寄与する事は間違いがありません

ですが、あくまでそれは本人らの自由意思に基づかないとなりません

自由で民主的で多様性を認めるという社会である以上「この資格を取ったら時給が数十円上がるけれど、資格勉強するよりもゲームがしたい」という意思は尊重されなくてはなりません

記事を書いていて思ったのですが、この考えは以前記事にした内容と似ています

melloblog.hatenadiary.com

結局、人に迷惑をかけない・人の権利を侵害しない範囲であれば、人は何をしても良いですし、何に幸せを感じるかも個人の自由です

必ずしも、時給が上がるからと言って自身の幸せを手放す必要はありませんし、他人に嘲笑されるものでもありません

人は自分の人生に於いて、自分のやりたい事を優先すべきです

何に労力を費やすかは人に強制される物では無く、自分の自由意志で決めて良いのです

というお話でした