初めまして
melloと申します
今回は魂の価値についてです
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
命の価値ばかりが重宝され魂の価値を蔑ろにしてはいけない
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回のテーマは魂の価値についてです
日本国に於いては明治時代より西洋列強に並ぶ為、先進国へなるべく文化改革を取り急ぎ行い、技術革新を行い、見かけ上諸外国に並ぶ強さを手にしました
その過程によりあまりに多くの日本古来の伝統や文化を捨て置いて来ました
世に言う『廃仏毀釈』です
長く、日本に溶け込んできた仏教文化の徹底的な弾圧です
元々日本国に於いては神道という宗教観がありました
そこに1400年程前に伝来してきたのが仏教です
二つの宗教は長い歴史の中で混ざり合い、共に多くの人民の心の救済に寄与してきました
他にも、刀を捨て袴を捨て、鉄砲を重宝し洋装を重宝し、とにかく以前の様相から変わろうと必死でした
経済的・軍事的には数字上良い結果が生まれた事でしょう
先進国の常として、命の価値が右肩上がりになります
人権意識を他国の真似をして取り入れ、一見文化的に向上した様に見えたことでしょう
渦中の人民も短期的に豊かになれた事に幸福感を得たかもしれません
結果として、武道は廃れ武具の研究ばかりが行われ、扱う人物の精神を鍛えるという工程は徐々に減っていきました
あまりに人の手を離れた武器はもはやただの殺人兵器であり何も生む事はありません
効率や合理性を追求していった結果、人類は核兵器を生み出しました
地球上、唯一の被爆国である我々日本人はその悲惨さを知っています
先進国に於いて人の命の価値が青天井に上がっているという事は、他国から見たら相手国の人の数をより多く奪うという事が一番ダメージがある事は容易に考えられます
それが、より人間の頭数を競い合うゲームになる事に拍車をかけ、その精神・魂の存在を蔑ろにし続ける行為であるにも関わらず
戦前、日本教育に於いて『修身』という教育がありました
修身とは、読んで字の如く、自らを修めるという事
自身のアイディンティティを育み、何を目的に生き、どう生きるか、という授業です
その一部が『道徳』の授業です
それが現代に於いては、答えがない・人によって答えが違うという理由によって、道徳教育すら儘ならないほどになりました
つまり、魂を磨く機会は家庭教育や自助努力に放り棄てられたのです
魂を磨く機会の無かった少年少女がそのまま大人になり、子を成し、その子に魂を磨くという概念を教える事無く育て、またその子が大人になり…
という事を数代も続ければ当然道徳心も育ちません
確立した国家観も持たず、ただ自分に利する事だけを是とし続けてきたのです
2024年07月頃に一万円札に新しく印刷される人物をご存じでしょうか?
彼は渋沢栄一と言い、多くの企業の創立に手を貸した人物として有名です
それと同時に彼は道徳を大事にしていました
彼の名言を一つご紹介します
曰く
『真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない』
との事
彼は実業家・起業家ですから、どうしてもビジネスと結びついた考え方をする人物です
その彼が「道徳はなくてはならない」と発しています
その彼を新1万円札に起用したという事は、日本政府の中でも「現代日本には道徳が足りていない」と認識している事と考えます(単純に経済的に強くなって欲しいという思惑かもしれませんが)
大和魂・侍魂と、海外とのスポーツの対戦の時に限ってマスコミによって大きく喧伝されますが、魂とはその人の根源に根ざしたものです
そう都合良く引き出せるものでもありません
普段から自らの魂と向き合い、磨き、鍛えている人間でなければ、要所での違いなど生まれません
命の価値と魂の価値はトレードオフの関係なのかも知れません
命の価値が安いから魂の価値が高まるのかも知れませんし
命の価値が高くなったから魂の価値が安くなったのかも知れません
それでも、魂の価値を蔑ろにして良い理由とは私には思えません
命だけを救われたとしてもどう生きるかという指針がなければ人生の迷子になりかねません
現代社会は、歴史上一番命の価値が高まっています
だからこそ、私達個人個人は自らの意思で自らの魂に向かい会う必要があるのです
最後にもう一つ、名言をご紹介したいと思います
曰く
『天運尽き果て滅亡を致すとも、義理に違えまじきと心得なば、末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候』
との事
命の安い戦国時代だからこそ、清く正しく生きる事の美しさが際立ったのかもしれませんが、その魂を現代に持てない道理はありません
人様に後ろ指を指される生き方をしないというだけで、かくも美しい魂となる事でしょう