本の要約がなされている物を見て本を読んだ気になってはいけない 前編

初めまして

melloと申します

 

今回は読書がテーマです

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

文章の『行間を読む』という能力が著しく下がる事に繋がる

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回のテーマは読書になります

皆さんは読書はされますか?

私は最近はめっきり減りました

学生時代などは、常に本を携帯して暇さえあれば読書をしていました

赤川次郎東野圭吾今野敏など、書店でおススメとしてポップが作られやすい小説をメインに読んでいましたし、ホームズやエラリークイーンなどの海外小説などもちょこちょこと読んでいました

その時も感じたのですが、海外小説は基本的に作者以外の人物が和訳をするので、何となく表現方法が独特だったり、読みにくい文章だったりもします

それが外国人特有の言い回しに由来するものだったり、海外にしかない文化を前提として語られていたりと、やはり日本の作家に比べてどうしても理解に時間がかかったり負担のかかるものでした

それは作品の面白さに関係がないので、どうしても海外作品への食指が重たくなってしまいます

 

私の家は貧乏でケチだったので、学生時代はどうしてもお金のかかる趣味などは持てませんでした

なので図書館から借りてきた本を読むだとか、テレビ放送されていた映画を録画して見るだとか、とにかくお金のかからない様に過ごしていましたが

私自身がアルバイトや社会人をやり始めると、給料というものがあるので少しくらいお金のかかる趣味を持つ事が出来始めました

パソコンやipodを買ってセットリストを作ってひたすら聴いたり、ネット回線を引いてネットサーフィンを繰り返したり、と読書から少しづつ遠ざかっていきました

 

とまぁ、私のお話は一旦置いておきまして

数年前から、YOUTUBEやブログ等にて『本の要約』というコンテンツがあります

有名な所でYOUUTBEでは『中田敦彦YOUTUBE大学』だとか『サラタメ』だとかがありますね

ブログでは大きく有名な人は少なく、小さいブログが一杯ある感じですね

私はこれらのコンテンツには否定的です

それには大きく分けて3つの理由からです

 

1、本人のフィルターがかかった情報になる

2、『要約コンテンツ』になっているので金銭が発生している

3、情報を咀嚼する能力が失われる、又は育たない

 

1は上記で既に解説しました通り、Aという本があった場合に

Aという本を読んだBとCが居たとして、Cから本の要約を聞いたDが居たとする

すると、Aという本に対する理解度はDが一段と悪くなるという物です

なぜなら、CがAから得た情報の内、Cが理解できる内容しかDに伝える事が出来ないからです

そして、以前の記事にも書きましたが、人と人が完全に相互理解しあえるというのは不可能だと考えますので、情報の間に人が入れば入るほど、情報の中身は乖離・劣化していくだろうという事です

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作者→編集者→読者(要約者)→読者(要約者の話を聞いただけ)

となり間に人が二人も入る事になります

これでは作者が言いたい事の何分の1になるのか計り知れません

 

2も以前の記事にも書きましたが、インフルエンサーはエンターティナーであり、本の中身を完全に理解出来ているかは担保されていませんし、正確に伝えようとしているという保証もありませんし、そもそもその能力があるのかどうかも疑わしい上で、万が一間違いを発見し指摘したとしても逃げ出せば済む話なので、インフルエンサーの言葉に価値はありません(インフルエンサーがインフルエンス(流行りを作って消費を促すという意味)するという意味以外には価値がないという話)

つまりは、お金欲しさにやっているコンテンツになってしまっているという事

 

3が一番問題だと思うのですが、巷で言う『行間を読む』という能力が育たないという事です

学校の勉強で国語の科目で「作者の気持ちを答えよ」みたいなお話です

この問題について、作者の気持なんか分かるかよ

っと切り捨てる人が多いですが、私はそうは思いません

こういった問題は実際の作者の内情を答えるのではなく、作者の文章から読み解ける気持ちを考えるという内容です

つまり、相手はどんな気持ちなんだろう?と相手の気持ちに寄り添うという練習です

というかそういった能力があれば簡単に解ける問題という事です

こういった問題を切り捨てるのは、功利主義者の特徴でもあります

 

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