本の要約がなされている物を見て本を読んだ気になってはいけない 後編

初めまして

melloと申します

 

今回は昨日の記事に引き続き要約コンテンツについてです

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

作品コンテンツを多く消費した人が文化人として格上な訳ではない

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は昨日の記事の続きです

昨日の記事は、文章を嚙み砕いて理解する能力が失われるというお話でした

 

melloblog.hatenadiary.com

 

そして、それは文学作品や映像作品などにも表れます

よく、読解力とも言われますね

そういった作品をより多く読破・視聴している事が偉いという風潮があります

しかし、作品が際限なく、無限に生産され続けている以上、良い作品の全てを網羅する事など不可能です

一時期、『鬼滅の刃』が社会現象的に大人気となり、多くの著名人なども業界を挙げて口を揃えて「素晴らしい」と喧伝しました

上記の様に、過去の名作を読破・視聴する労力はかけたくないが、文化人ぶりたい時は、そういった過去の人とは分離された最新の作品を過剰に持ち上げることによって、それ以前の名作は読破・視聴するに値しないとするのが楽です

これがさらに進化して、○○は鬼滅の刃のパクリだ

と本気で言っているのを何度も見かけました

確かに、人によって作品への評価が違うのは当たり前ですし、それぞれがそれぞれの評価を下せる事が作品の面白いところでもありますが、それによって過去の名作を貶す理由には当たりません

さて、では多くの作品を読破・視聴していれば文化人として格が上がるのかと言えばそうではありません

しかし、それを勘違いした人達が多くいるのも事実です

『映画を早送りで観る人たち』という本があるほどです

例えば、映画での冒頭の、ただ列車が走っているだけのシーン等は、今の若者は飛ばしたりしていまうそうです

他にも、音楽のイントロ部分等も早送りしてしまう事もあるということです

 

その作品への愛やリスペクトを持っている訳でもなく、ただ私は多くの名作を見た文化人として格上なんだ

というマウントの為の努力としての鑑賞なので。数を稼ぐという面で考えれば納得の理由です

同様に、同コミュニティに於いてのマウント取りの一つの手段として『同じ作品を何回も見た』と主張するというのもあります

上記の鬼滅の刃の例で言えば、何度も何度も劇場に足を運んだと主張する人は多く居ました

そうやって何度も何度も見た感想は「映像が綺麗だった」とか「登場人物がカッコ良かった」などの、一度見れば分かるような内容ばかりです

 

もちろん、作品とは娯楽ですので各々が好きな様に楽しめばそれで良いのですが、マウントの道具にされるのはあまりに作品が可哀そうに思います

 

動画投稿サイトであるYOUTUBEニコニコ動画にも倍速視聴という設定はあります

私もこういった、素人の間延びしたネット動画を視聴する時は倍速設定を利用する時もあります

しかし、それはその動画への理解度という面で考えれば悪影響しかありません

 

昨日の記事では、人が間に入る毎に作者の気持ちは伝わりづらくなるというお話でした

今回は、それに『倍速視聴』という、さらに理解度を下げる要因に問題を見出しました

 

ここまで来ると、『名作を鑑賞した人』と『名作を要約している動画を倍速視聴した人』で感想が全然違っていても何もおかしくはありません

作者が伝えたかった文章・言葉・間などが全て変更される為です

それは果たして『作品を見た』と言えるのでしょうか?

 

多くの作品は(残念ながら)芸術作品ではなく営利作品ですので、このような風潮に乗って多くのコンテンツ消費者を作り出すことで、お金を生み出し、制作に関わった人に多くのお金が渡るのは良い事です

しかし、あまりにお金儲けに走りすぎても、それはもはや娯楽ではなく、ただの集金マシーンと成り果てます、さらにはプロパガンダにも利用される事になります

少し前に話題になりましたが、アメリカ映画のリトル・マーメイドやバービーやバーベンハイマーなどが、政治利用された事は記憶に新しいかと思います

 

まとめると

行間を読む能力が無い人が、いくら多くの作品コンテンツを消費したからとって文化人として格が上がる訳でもなく、金を搾取されプロパガンダをまともに受けてしまう

というお話でした