初めまして
melloと申します
今回のテーマは『何者かになれるという勘違い』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
何者になれなくても構わない
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は何者かになれるという勘違いについてです
中二病的な考え方ですが、多くの人は「自分は何者かになれる」と勘違いをして成長していきます
少年が、いつか大谷翔平の様になりたいと野球を始める
いつか本田圭佑の様になりたいとサッカーを始める
いつか藤井聡太の様になりたいと将棋を始める
その多くが成長過程に挫折し辞めていきます
その挫折が無駄とは思いません
自身の成長に於いて、何が栄養となり、何が邪魔となるかなどは後になって自分の人生を振り返ってみてようやく気付けるものです
私は、若い頃はお笑い芸人の『じゃない方』の人間が嫌いでした
例を出すと
フットボールアワーの後藤、バナナマンの設楽、オードリーの若林、アンタッチャブルの柴田 敬称略
などでしょうか
特徴として、相方が強烈な個性を持っている芸人というのがあります
誤解を恐れずに攻撃的な言葉で言うと
相方の強烈な個性に寄生しているだけの人
と言えます
ただ、私自身が歳を取るにつれて、考え方も変わり、彼らに対する目も少しづつ変わっていきました
上記の例に挙げたお笑い芸人の人達も、最初は、自分自身の腕や話術でお客を笑わせたいと思ってお笑い芸人になったはずです
そうして我武者羅にやった後に今の形に落ち着いていると思うのです
そこには大きな葛藤や嫉妬もあったと思います
自分がウケたい、自分が目立ちたい、自分が褒められたい、自分が認められたい
そういった思いをグッと堪えて、コンビとして成立する為に相方をフィーチャーする側に回ったのだと思います
それを挫折と捉えるのか成長と捉えるのかは、その人次第だと思いますが大人になったとは言えると思います
そこで、自分自身が大谷翔平になりたいと突っ張っていたのなら現在の姿はない訳ですから正しい道を選んだと言えます
突っぱねた結果、成功出来た人も居ると思いますが、それはほんの一握りの成功者を残して他すべてが屍と化すイバラの道なのです
何百何千と積み上げられた屍にならないという勘違いは、まさに悲劇を製造し続ける道なのです
その後、屍となった人間は元居た場所での復帰というのは出来ませんし、別の道を探す事になります
夢に挑戦した結果、夢破れて違う人生を生きる事となるのです
その生き様は美しいし応援したくなるものですが、過酷な物である事も確かです
私は、今では上記に挙げたお笑い芸人の人達が相当な苦労をしたのだろうと、勝手に親近感を覚え好意を持っていますが、私自身はそんな挑戦は出来ないだろうとも思います
最初から、自分は何者にもなれないという考えでいる方が傷つかないですし、夢破れた時の喪失感を覚えなくて済みます
何者にもなれない人物は何者にもなれない人物なりに、達成可能な目標に向かって最短ルートを粛々と進む方が、人生の目標を淡々と達成していけると考えます
何者になれなくとも構わないというメンタリティである方が、精神衛生上良いかと思います
というお話でした