初めまして
melloと申します
今回のテーマは『アーミッシュ』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
幸せが何処にあるのかなんて本人にしか分からない
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回はアーミッシュという生き方についてです
アーミッシュとは、古くは、17世紀頃にスイスやドイツから北米へ移民したキリスト教プロテスタントの人々を指します
カトリックが教会や教皇の権威性が強いのに比べて、プロテスタントは聖書こそが正しいとして、教皇や、絢爛豪華な教会へ敬意を払わないとしてヨーロッパに於いて迫害されて北米へ移民して来たという歴史があります
共用語としては、ダッチ(ペンシルベニアダッチ)と言って、ドイツ語の方言を話します
英語は学校へ進学してから学びます
プロテスタントの人々なので、質素倹約を旨とし、聖書原理主義であり、農耕牧畜の自給自足の生活を送っています
その生活様式は17世紀の頃とほとんど変わらないと言います
例を挙げると
・自動車に乗らずに馬車に乗る
・電気、ガス、テレビ、電話、インターネット、保険禁止等
などですね
自動車に乗らない理由としては、長距離の移動が簡単になってしまい、アーミッシュの狭いからこそ濃いコミュニティーの関係が希薄になってしまい、アーミッシュの文化が消滅してしまう可能性を危惧しているとの事
通信技術の禁止の理由も似たようなものです
つまり、自分たちの文化と外の文化が常に繋がっている状態というのは、常に外の世界からの誘惑を受け続けるという事であり、情報に依って一種の洗脳状態を作り出す可能性を危惧しているとの事です
また、ほんの少しくらいなら…と外の文化を取り入れた場合は、じゃあこれも…と、どんどんと済し崩し的に自分たちの文化が変化してしまうという事
それは、自分たちの文化の消滅を意味するのです
私も少し前に、似たような内容の記事を書きましたね
アーミッシュは、面白い事に写真やカメラを嫌がる傾向があります
それは根本的に、プロテスタントの考えに偶像崇拝の禁止があるからです
偶像崇拝とは、偉い人間の像を作ってはならないという考えです
なぜ偉い人間の像を作ってはいけないのかと言うと、像を作るとなると当然その像へ向かって祈る人物が出てきます
そもそも一般的にはプロテスタントに上下関係はありません
父と子と聖霊だけが特別であり、他はみんな平等であるという考えです(宗派によって違うが)
なので、祈る人物と祈られる人物が居るというのはその時点でおかしいのです
そこで、アーミッシュの人々は、その像を写す写真やカメラ自体を忌避するという事ですね
アーミッシュという生活をしていると、生活は本当にシンプルになります
シンプルな生活というのは現代社会に生きるより、より多くの時間が出来ます
時間が多くあるという事は、自分自身や家族と向き合う時間が多くなるという事です
そうやって家族と向き合う時間が増えるという事は当然の流れとして、多くの子を宿す事に繋がります
アーミッシュの家庭は子供の数が平均で7~8人と言われています
そして、厳格なキリスト教なので、離婚が禁止されています
単純な算数として、夫婦二人に対して子供が7~8人ですから、アーミッシュというコミュニティーは急速に人数が増えています
ただ、学校はこぢんまりとしていて、大きい校舎や大多数の生徒が居る訳ではありません
なぜなら、上記にも書きましたが、移動手段が徒歩か馬車しかないので、あんまり遠くの学校に毎日通う事が出来ないのです
なので、そもそも学校を大きくする必要がないのです
学校で教えられる教科も制限されており、化学や理科は教えられません
制限される教科はどれも現代社会に生きる為に必要な教科であり、アーミッシュとして生きるのに必要が無いからです
また、あまりに知識先行で物を教えられ過ぎると、傲慢になったり謙虚さを忘れたり神への感謝の心を失ってしまうからとの事です
そして、一番大切なのが、大事な事は親が教えるという考えだからです
馬車の乗り方・農耕の方法・家畜の世話法など、アーミッシュにとって生活の基本となる事は、親から子へ直接教える事が大事であると考えられています
アーミッシュにとって、直接顔を突き合わせての交流というのは本当に大事にされています
電話などの通信技術を受け入れてしまうと、相手と距離を取ってのコミュニケーションというのが出来てしまいます
そうすると当然、顔を突き合わせての交流が減りますし、居住地自体もどんどんと遠くに離れて行ってしまいます
アーミッシュにとって、電話が必要なほど居住地が離れた人間はもはや、同じコミュニティーに属している人間とは考えられないのです
アーミッシュの特徴として、顔を知っている家族や仲間達が協力し合う事が重要と考えています
なので、顔を知らない人間が収めた税金から与えられる物を拒否します
それらを受け取ってしまうと、それらに依存してしまうからです
アーミッシュは自分達や仲間達で完全に独立したいと考えているのです
顔を知らない人間が生み出した電力に頼りたくないし、顔を知らない人間が作った商品を買いたくないのです
そうする事で、例えばコロナ禍のパンデミック下に於いても普段と何ら変わりのない日常を送る事ができた
投票もしないし、生活保護も受けないし、食料配布も受けない
さらには健康保険にも入らない
もし万が一、骨折などの怪我をした場合は当然ですが病院には行きます
ただ、アメリカは日本と違って病院代がすごく高いので、無保険で個人で支払える料金ではありません
そんな時は、教会がコミュニティーに説明をして皆から寄付を募ります
狭いコミュニティーなので、顔を知っている人が骨折したとなれば、助け合いの精神もより深く生まれるのです
アーミッシュという大きな括りの中には、メノナイトと呼ばれる少しだけ近代的な生活をする人も居ます
メノナイトの人々は、もし無くなったら無くなったで生活は出来る程度の依存度で、電機や機械を使う事もあります
しかし、決してそれらに頼り切りにならない様に気を付けている様です
ヴィーガンもそうですが、生き方や物事はそのほとんどが0・100では無いものです
人生の内に一食でも動物性食品を食したらもうその人は一生ヴィーガンとは名乗れないなどという極端な物の考え方は正しいものではないと考えます
アーミッシュという生き方は、現代人からすると一見して不便そうに思いますが、中の人は日々幸せそうに働き、家族と多くの時間を過ごしています
本当の幸せはこういった所にあるのかもしれません
というお話でした