嫉妬は悪魔の証明である

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『嫉妬について』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

嫉妬を他者が完璧に言い当てる事は不可能である

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は嫉妬についてです

嫉妬というのはつまりは他人を羨ましがる心の動きです

古くはキリスト教西方教会、おもにカトリックに於ける用語であり

原典とされる書物にはラテン語で『七つの死に至る罪』にて書かれている罪の一つです

有名な方の呼び方で言うと、『七つの大罪』になります

傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰が、その七つです

この七つの罪に対応する美徳として

傲慢→謙虚

強欲→慈悲・寛容

嫉妬→感謝・人徳

憤怒→忍耐

色欲→純潔

暴食→節制

怠惰→勤勉

となります

この七つの大罪に一つだけ特別な物があります

それこそが『嫉妬』です

他の6つの大罪に比べて、嫉妬というのは本人の心の中にしか存在していません

怠惰はサボり魔に見えますし(そもそもニートになるかも)

暴食は他人から見て明らかに食べ過ぎでしょうし

色欲は好色家に見えるでしょうし

憤怒は怒りっぽく見えるでしょうし

強欲はケチに見えるでしょうし

傲慢は偉そうに見えます

ただ嫉妬というのは他人からは分かり得ません

相手を羨ましがっているかどうかなどは本人の心の中が分かる人間でないと知りようがないからです

 

インターネットというのは魔の巣窟です

インフルエンサーの人気の出初めの頃というのは謂れも無い誹謗中傷の嵐です

そう言ったインフルエンサーにありがちなマインドセットの方法として「彼らは成功している私に嫉妬しているのだ」という思い込みです

これ自体は特に問題がありません

謂れの無い誹謗中傷を一々相手にするのは不毛ですし、自身のメンタルの保ち方として健全です

ただ、批判意見を全て『嫉妬』と片付けてしまうのは一種の思考停止と言えます

ただただ賞賛するだけの意見のみを見て、批判意見に耳を貸さないで居るのが、信者ビジネスと言われる所以です

インフルエンサーという職業がただの商品を買わせるだけの職業であるのであれば、それはただの営業マンです

職種は営業という事になります

そうではなく、インフルエンサーという括りである以上、何かしら営業マンとは違う所がなくては存在意義がありません

 

嫉妬という感情は制御が難しい物です

向上心のある人間であるのであれば、一回は抱える感情と言えます

そして、それが悪い方向に向かうか良い方向に向かうかは、時の運とその人の資質に依ります

よく昔の人が言うのが「悔しい事を言われて『なにくそっ!』っと思って頑張った」という意見です

こういった人には良い方向に向かったと言えます

自身の運の無さを嘆いて行く方向へ向かったのならば悪い結果となります

「なんでアイツばっかり贔屓にされるんだ…アイツは上司にゴマを擦っているからだ」といった風に

実際に上司がゴマ擦り部下を可愛がっていて、ゴマを擦らない部下に辛く当たっているのかどうかは上司しか分かりません

本当に公平な抽選に外れ続けても人は人に妬みを抱きます

でもそれは、自分が一番優れているはずなのになぜ他人が抽選で受かるのかという疑問に端を発しているからです

それはある意味では『傲慢』であるとも取れます

『嫉妬』という感情の源流ではないのかもしれません

 

さて、とある批判があった時、その対応はどうするべきでしょうか?

普通に考えれば、是々非々で考え、正しい批判は真摯に受け止め、間違った批判であれば正すか無視するかで事足りるでしょう

しかし、世は大インターネット時代です

多くの人がインターネットを中心に生活をしています

山奥に住まう仙人などの世捨て人でなければもはや関係無く生きていく事は不可能でしょう

インターネットを介して晒されるのは世界60億人に対して情報が拡散されるでしょう

その中で賛同者だけを切り取って生活するは信者ビジネスと化しますし

すべての意見を是々非々に判断するにしてはあまりに個人のリソースを要する事になります

どう対処するのが正しいのか私にも判断は付きません

ただ、批判者をただの嫉妬だと切り捨てるのは明らかに間違っているというのは分かります(前述の通り、個人の精神衛生上の防衛行為としては正しいですが)

こうやって『嫉妬』に対してぐるぐると考えを巡らせる事こそが嫉妬の大罪たる所以なのかもしれません

まるで悪魔の証明の様です

悪魔の証明とは、存在しない事を証明するのは不可能に近いという意味合いです

つまり、嫉妬の存在証明とは、幽霊やUFOの存在証明に近いという事です

本人が幽霊であったりUFOの操縦者でもない限り証明のしようがありません

なので、相手に対し容易に「嫉妬している」と言うのは論理的に間違った論法であると言えます

嫉妬しているかどうかは本人にしか分かりえない以上、他人を評価する際には嫉妬という感情は存在しないものだという意識で居ないとおかしくなるという事です

というお話でした