初めまして
melloと申します
今回のテーマは『恐れ知らず』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
勇気があるのと失礼なのとは違う
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は恐れ知らずについてです
皆さんは『恐れ知らず』という言葉にどのような印象を受けるでしょうか?
漫画やドラマ等の物語をベースに考えると、主人公や主人公のライバル的存在の、所謂良い奴側のキャラクターを思い浮かべるのではないでしょうか?
ネット辞書のweblio辞書から引用させて頂くと
立場を弁えず大きな態度を取るさま
とあります
また、別のネット辞書のgoo辞書には類義語には
怖いもの知らず
自身に満ちて、何ものをも恐れないこと。また、無鉄砲なこと。
とあります
恐れ知らずはマイナスなイメージですが、その類義語である怖いもの知らずはむしろプラスなイメージの言葉の様です
恐れ知らずとは、畏れ知らずとも読むことが出来ます
畏れとは、格上・目上の存在に対し、かしこまる事ですね
物語では、よく「神への畏れを知らぬ」などといった使い方をされますね
私は以前の記事にてアイドルに多少の造詣がある事が露見してしまったかと思われるので今回の記事を書いているのですが
本題としては、『ドジっ子属性』というのは現代社会で言う所の社会不適合者ではないか?
という事なのです
可愛くて若い女性アイドルが大御所の男性俳優に失礼をした
という一幕はよく見る光景です
これは、『アイドル』という庇護欲をそそる職業であるからこそ成り立っている光景です
庇護欲というフィルターを外せばそれはただの無礼な人間という事になります
時代が時代なら「まともな親の教育じゃない」などと揶揄されても仕方がない事です(現代では差別的と言われますが)
また、庇護欲無くして無礼を許すというのはただの下心であって、それまた下種な考えと言われるかもしれませんが、どうにかなろうと恩を売っているだけに見えます
ただ、こんな特権階級的な扱いを羨ましがる人は大勢います
私は十数年前から言ってる事があります
『女子アナは不要』
という事です
テレビ各局が新卒採用する女子アナウンサーというのは長らく『顔採用』されているというのはお茶の間での常識です
そして、その風潮をテレビ各局が打破するつもりが無い事が『顔採用』を暗に認めている事になります
その証拠に女子アナウンサーは○○大学在学時にミスコンの優勝者や準優勝者ばかりです
ですが、やっている事と言えば結成数年のアイドルと変わりありません
つまりはアイドルという肩書こそ無いけれど、仕事内容としてはおじさんの庇護欲の捌け口、なんちゃってアイドル…所謂『ドル売り(アメリカドルじゃないです)』している職業という事です
下世話な話、おじさんの下心ありきの職業という事です
女子アナの仕事の大半はパソコンソフトの『棒読みちゃん』今で言ったら『ずんだもん』で十二分に置き換え可能です
さて、そんな偏見に塗れた私の私見ではありますが
女子アナの人は前述した『畏れ知らず』な人が多いと思います
物凄く失礼な事をしたり発言があっても、世間的にはアイドル視されている職業なのでむしろおじさんからしたら「距離が縮まった様で嬉しい」と喜んでしまい、処罰されません
キャバクラ感覚ですよね
さて、前置きが長すぎましたがここからが上記の本題になります
以前に何回も記事にしていますが、私の言う所の『合理性至上主義』の人というのは概して畏れ知らずであると言えます
なぜだか最近の若者に人気の『ひろゆき氏・堀江貴文氏・メンタリストDaiGo氏』などは有名ですね
みなそれぞれが他人への敬意を欠いた発言などで炎上を経験しています
それを「アホ・馬鹿・頭が悪い」などと揶揄する事でさらに炎上させて話題になったりしています
また、この様な人達を見て「自分も炎上すれば有名になれるかも」なんて夢見た人が大勢居て、社会現象となっています
『怖いもの知らず』はその人の個性として許容出来る事もあるのでしょうが、『恐れ知らず』を持ち上げる風潮というのはどうにかしないといけないと思います
勇気を持ってリスクを恐れずにアクセルを踏む事と、リスクが有る事を考慮せずにただアクセルを踏むのは違います
無礼な行いが許されるのは若者だからであり、時が経っても態度が変わらないのは無為に歳を重ねた者であると言わざるを得ません
勇気があるのと失礼なのは違う
というお話でした