初めまして
melloと申します
今回のテーマは『遊興の分散』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
ある一つの事柄に人生の半分も乗せているとなれば、これは多大な集中投資と言える
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は人生の半分損しているという言い草についてです
最近は聞く事が減ったこの言葉ではありますが、以前は良く聞いた物です
ではこの言葉は正しいのか否か、私は当然間違っていると考えます
そもそも人生100年時代、人生の半分を損していると言うのであれば、当てはまる事柄を行わなかった場合、50歳で亡くなる事と同義と言っている訳であり、それだけでもこの言葉が間違っている事は明白であります
それでも正しいと言うのであれば、よっぽどの快楽と引き換えの物でないと釣り合いが取れません
ですが、実際、この言葉に当てはめる事柄は、やれ特定のゲームだの、やれ特定の映画だの、やれ特定のアニメだの、やれ特定のドラマだの、やれ特定の旅行だの、やれ特定の食事だの、酷いのになると仕事終わりの一杯だのと、非常に些細な事である場合が多くあります
とてもではありませんが、寿命の50年を捧げるに足る物とは言い難いのです
そもそも、寿命を50年も捧げるに足る快楽とは、遊興とは、狂人の行いと同義です
極論すれば、その遊興を行えれないのであれば死んだも同然であると主張している訳ですから、罷り間違っても他人に推し進める物では有り得ません
然るに、快楽も、遊興も、悦楽も、ただ一つの事柄に集中するのは危険であると考えます
ちょうど株式投資に於いて、お気に入りの銘柄に全財産を投じるのと同じく、最もリスキーな生き方と言えます
『卵は一つの籠に盛るな』とは、株式投資では、もはや当たり前とも言える程、浸透している考え方です
人生に於いても同様で、たった一つの事柄に全人生の半分も投じる事を良しとし、ましてや他人に推し進める事などあってはなりません
とは言いますが、人によっては人生の半分を費やすに足りない事柄であっても、また別の人にとっては違うかもしれません
日本の職人の世界には、悠久の時を経て修行を続ける事を是とする世界があります
寿司職人には『飯炊き3年握り8年』という言葉があります
一端の寿司職人として認められるのに合計11年もかかるという格言です
実際はそんな事はありませんし、時代遅れであるとさえ言われます
ですが、それを『時代遅れ』だとか『師の指導力不足』と外野から口を挟む権利はありません
なぜなら、11年修行する気が無い人からしたら何の意味も価値も無い時間だからです
まとめると
人生の時間の価値は人それぞれであり、他人が容易く『効率的な』『合理的な』を指示する権利はありません
最も合理的な物に人生の半分の時間を使うべきというのであれば、それは非常に偏った集中投資であると言えます
というお話でした