『老いては子に従え』は女性差別なのか?

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『老いては子に従え』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

大事なのは『三従の教え』が絶対だ、と考えない事であり、そして原則的・基本的には正しい物であると認識する事だと考えます

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は『老いては子に従え』についてです

この言葉は、古くは仏教や儒教の女性の正しい生き方を説いた物と言われています

曰く、在家従父,出嫁従夫,夫死従子

つまり、嫁に行くまでは父に従い、嫁に行ったら夫に従い、夫が死んだら子に従う、という生き方です

この思想を聞いて『女性差別だ』と短絡的に思うのは早計であると考えます

そもそも、こういう原則があったとして、娘の、妻の、母の、意思や言う事を全て無視したり、発言すら認めないのであればそれは、父が、夫が、子が(人間的・性格的に)悪いのであって、女性の権利を剥奪する物では無いと考えます

別の言い方で言うと、家族とのコミュニケーション不足であると考えます

以前、別の記事でも書きましたが、家族としてのコミュニケーションが不足しているのにも関わらず「制度が悪いんだ」とか「女性差別だ」などと叫ぶ前に、家族と向き合うべきであると思います

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有史以来、男性は外で仕事をして、女性は家で仕事をして来ました

男性の行う外での仕事というのは概して命の危険があったり、より肉体的に過酷な行為をしなければならなかったりと、肉体的にどうしても男性の方が適している仕事内容である事が多く

女性の行う家での仕事というのは概して比較的肉体的差異によって成果の差が少ない仕事内容です

この考えがそもそも女性差別だ、と主張するのであれば、私とはそもそも話が合いません

私としてはそういう女性とは結婚しなければ良い話です

これから人生を共にする伴侶を得るというのに、精神的な、人間的な、性格的な面で相容れない人物と婚姻するからこんな問題が頻出するのです

 

話を戻します

『老いては子に従え』『三従の教え』は、何も「女性は黙ってろ」と言っているのではありません

家族としての繋がりを維持する以上、外で他人と共に仕事をする男性の判断力、意思決定力、引率力、或いはそれに準ずる自信を喪失させるべきではありませんし、むしろ家族のバックアップの元、それらを補強・強化していかなくてはなりません

そんな中、自分の娘、自分の妻、自分の母に、一々行動を正され、指摘され、制限された人間が外に出て他人との競争に勝ち抜けると思われますか?

 

巷では、自らの夫の事を『ATM』と呼んだり、『手の掛かる子供と一緒』などと揶揄する風潮があります

そしてそれは一理あります

であるならば、娘としても、妻としても、母としても、より優秀なATMや、より優秀な子供である方が望ましいと考えられませんか?

 

結局の所『人による』という話なのですが、姉さん女房で旦那が尻に敷かれているという夫婦関係の方が上手く行く事もありますし、上記の様に女性に立てて貰っている夫婦関係の方が上手く行く事もあります

ですがそれはあくまで『夫婦』の話であり、両親や子供にとってはどういう風に接するべきか、何が正しいのかというのを分かって貰う必要があります

夫婦では上手く行っていても、両親が許さない、或いは子供が嫌がるかもしれません

なので、原則的には女性は在家従父,出嫁従夫,夫死従子と定めておく事で指針が出来ると言う物です

あくまで原則的・基本的、という話ですから家族で話し合い、どうしてもこういう風にしたいという意思があるのであれば、変形してしまって良いと思います

大事なのは『三従の教え』が絶対だ、と考えない事であり、そして原則的・基本的には正しい物であると認識する事だと考えます

というお話でした