映画の配給会社のロゴ映像の時点で独自色を出そうとする監督は自分の作品に自信が無い証拠

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『配給会社のロゴ映像』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

自分の映画が面白いという自信があるのであれば、作品の面白さに関係の無い部分で独自色を出す必要はない

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は映画を見る際の冒頭部分、配給会社のロゴ映像に関してです

皆さんが映画を見る時に最初に見る映像は何でしょうか?

恐らく配給会社のロゴムービーかと思われます

岩に波が打ち当たる映像と共にこちらに向かってくる東映の文字

何らかの授賞式かの様に多くのスポットライトが当たる20世紀FOX

ライオンが吠えるMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)

など、多くのイメージと共にこれらの映像は脳裏に容易に蘇るでしょう

それは、見た映画が素晴らしい物であればあるほど、アリアリと蘇り、また、色調豊かに詳細に思い出す事が出来ると思われます

昨今、映画という娯楽に関しても一部の趣味人が高尚な趣味と持ち上げるまでもなく、映像文化は多彩な広がりを見せ、その配給量も莫大な数に上ります

そして、映画を趣味とする人達も映画だけに留まらず色々なコンテンツを消費する様になりました

結果として『映画を早送りで観る人たち』という書籍から分かる通り、選りすぐりの作品を見つける作業ではなく、ただ莫大な量のコンテンツを消費したという数字が大事になっています

だからこそ、早送りで観る文化というのは根付いてしまったものと見受けられます

そうして昨今、映像制作側にもその波は押し寄せていると思われます

上記の配給会社のロゴムービー、最近の映画では何とか視聴者を離さない為にこの段階で独自性を出そうとしています

ここに見られるのはあくまで逃げの姿勢であると思われます

自作品への自信が無い証拠とも言えます

他の作品が同様のロゴムービーを流して「OPムービーが長すぎ」という評価を押してでも良作と言われているのにも関わらず、こんな小細工を弄するのは要するに中身に自信が無いのです

同じスタートに立ちたくないという気持ちの表れです

対戦ゲームで相手より優位に立ちたいが為にWH(ウォールハック…壁が透けるというチートの事)を使うという人間と精神性は同じという事です

もちろん、ロゴムービーに独自性を出す事は何ら違法性はありませんが、精神性の話として、中身では無い部分で他人を出し抜きたいという考え方は健全とは言えません

そもそも観客にウケるからと何でもするという精神性は、恋愛物ばかりを作る漫画家・小説家・作詞家などと変わりません

melloblog.hatenadiary.com

観客動員数という数字しか追っていないクリエイターであると言えると思われます

というお話でした