初めまして
melloと申します
今回のテーマは『年末年始の挨拶』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
少年時代のショックは、おそらく一生引きずる事になる
内容が気になった方は引き続きご覧ください
年末が近づいて参りました
子供っぽいと言われるかも知れませんが、私は、年末年始のご挨拶が嫌いです
『良いお年を』と『あけましておめでとうございます』
ですね
また私の幼少期のお話なのですが、私の家は貧乏であり、父親がケチなのもあって、学生時代に『お小遣い』という制度はありませんでした
子供の私が唯一現金を渡されるイベントがお正月のお年玉でした
つまり、我が家では今まで一度として親から現金を受け取った事はありません
全て親戚から渡されたお金という事になります
そして、基本的に我が家でのお年玉というのは、本人に手渡しするのではなく、親戚から渡されたお年玉を、我が家の親が一度受け取って、それを「これは○○おじさんからだよ」とか「これは○○おばあちゃんからだよ」と言って子供に渡される決まりでした
子供時代のある時、大晦日を年越しそばを食べてテレビ番組を見て過ごしたので、翌日の元日に昼頃起きた時に寝ぼけていたので『明けましておめでとうございます』という挨拶を忘れていました、そうこうしている内に親戚が正月の顔見せという事で我が家に来た時に一度、お年玉を親に渡して私達は従兄弟などと一緒に過ごして、親戚が帰った後、お年玉の話をすると「朝に『明けましておめでとう』と言わなかったから没収する」と言い出しました
まぁこういったお話は、良く聞くお笑い話です
ただ、前述した通り、我が家には『お小遣い』という制度はありません
なので、一般的にお小遣いを貰っている家庭で育った人間とは、僅か数千円と言えど、お年玉の存在や価値は全然違います
そこで少年の私は考えました
「実際にお金を出したのは親戚の人達なのに、なぜ自分は親の顔色を窺わなくてはならないんだ」
と
実際にお金を出した訳でもない父親が偉そうな顔をしているのが気に入らなかったのです
そして、普段から父親がケチである事は少年時代の私でも分かっていましたので、僅か数千円のお金に目が眩んで、こんな言い訳しているのだろうと考えました
さらに考えて、「そもそも『明けましておめでとう』ってなんだ?」
ただ年が変わっただけの事象に対して、なぜわざわざ自分から挨拶しなくてはいけないのか
などと、ひねた考えを持つ様になりました
高校生になり、自分でアルバイトをする様になって自分で給料を得る様になってからはさらにその考えが悪化して、父親には挨拶をしないようになりました
もちろん親戚や学校の人間やアルバイト先の人間にはきちんと挨拶をします
私の、このひねた考えはおそらく少年時代の反抗期の名残なのでしょうが、今更改めて父親に挨拶をしようとは考えません
少年時代のショックというのはそれほど衝撃があったのです
私はこの件もあり、父親はケチでセコいという印象なのですが、同様の仕打ちを受けた兄は「ケチなのは確かだが、お金の大切さを教える教育だったのだと思う」と大人な感想を持っています
それを聞いても、私の父親に対する印象は変わらないのですが、人によってはそういった捉え方もあるもんだなと思った記憶があります
というお話でした