『頑張れ』という言葉について

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『頑張れという言葉』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

手を貸せない状況だからこそ『頑張れ』と言う

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は『頑張れ』という言葉についてです

私は小さい頃は、『頑張れ』という言葉が嫌いでした

現在では、鬱病患者に頑張れと言ってはいけない

という風に知れ渡っていますが、私はこんな風に明文的にダメな理由を挙げられる訳ではなく、ただ嫌だと思うだけでした

頑張れという言葉には、他者に対して努力が足りないと主張している様に思えたのです

努力が足りないから問題に直面した時に解決が出来ていないんだと言っているようで、あまり気分の良い物ではありませんでした

部屋の片づけをしようとした時に、母親に「部屋の片づけをしなさい」と言われた時の様に

勉強をしようと思ったときに、母親に「勉強をしなさい」と言われた時の様に

「今やろうと思ったのに。あ~あ、やる気無くなった」という気分にさせられるのです

人のやる気というのは、あくまで感情の問題です

ただただ、メリットデメリットを説明するだけではやる気にはなりません

精神や感情が成熟した大人であっても、上記の画像の様に、人にやる気を出させる方法は複雑で難しいのです

それを『頑張れ』という四文字の言葉で簡単にやる気を出すと思うなよ

と小さい頃は思ってしまったのです

また、『頑張れ』と言った側の人間が、誰から見てももう既に努力する隙間が無いくらいに努力し尽している(少なくともこちらから見てそう見える)のであればまだ、分かりますが

対して努力もしていない人間に『頑張れ』と言われるのは、自分は努力をしていない癖にこちらにだけ一方的に努力を要求している様で腹が立ちました

私は、そんな不安定な感情・精神のまま、大人になり、社会に出て、会社に所属し、ある程度の年数を働いていると、後輩や部下が出来てきます

後輩や部下への指導を担当するようになって初めて、人に対して『頑張れ』と声をかける側の人間の心情が理解出来るようになりました

それは、自分がやれば出来る事ではあるが、目下の人間の成長の為に手を貸せない状況なのだという事です

今、自分が手を貸して目下の人間が1から10まで全てを完遂した訳ではないという状況を作ってしまうと、目下の人間の成長を阻害する事になる、という状況の時、人は『頑張れ』と言うしかなくなります

相手の成長や幸福を願っているからこそ、手を貸せない状況があるというのを知ってからは『頑張れ』という言葉に対する嫌悪感は多少は減りました

今にして思うと、私は小さい頃こそ、鬱病気味だったのかもしれません

努力がしたくとも出来ない状況の中、人から頑張れと言われる事に嫌悪感を抱いていたのです

人からの頑張れという言葉を肯定的に受け取れる人間にしか、頑張れという言葉は機能しないのです

というお話でした