脳髄は物を考える所に非ず

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『脳髄の機能』です

本記事は小説『ドグラ・マグラ』のネタバレがあります

未読であり、当該小説を読む気がある方は本記事を読まない事をお勧めします

気にならない方のみ引き続きご覧ください

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

脳髄は物を考える所に非ず

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は脳みそはなんの為にあるのか?です

私は、夢野久作著『ドグラ・マグラ』が面白く、一時期何回も読み返している時期がありました

そして有名な名言『脳髄は物を考える所に非ず』という言葉にも痛く感銘を受けた記憶があります

本小説は、日本3大奇書に数えられる難解な小説です(他2冊は『黒死館殺人事件』と『虚無への供物』があります)

その解釈は幾十…幾百通りもあるかと思われます

舞台が精神病院である事から、精神障碍者の妄想であった…

多重人格者であった…精神障碍者が一時正気に戻ったりしていた…

 

それはさておき、タイトルの『脳髄は物を考える所に非ず』ですが、現代社会・現代医学で言う常識では、脳が全ての物事を考え・判断し・指令を下しているという事になっています

本小説では、精神病科教授 正木敬之の言葉では

曰く

腕を叩いたら痛みは皮膚から神経に繋がり、神経は脊椎に伝達し、脊髄は脳髄へ伝えるとされる

しかし、実際は腕を叩いたら皮膚が痛みを訴えるのであって、脳髄はそれを真似た情報を錯覚させているだけである

そう、脳髄とはヒトを錯覚させる器官なのである

つまり、ヒトの体は脳髄以外は単一的な意思を持ってヒトという共同体として成立しているのであるが、脳髄の機能はヒトの感覚を錯覚させるだけの寄生体なのかもしれない

というお話です

「脳髄のために人間が存在しているのか、人間のために脳髄が設けられているのか、イクラ考えても見当が付かない」引用

こういった設問は世界的にも見た事があります

卵が先か鶏が先か、或いは我思う故に我在りという風に

つまりは脳髄に違和感を覚える事が出来るのは脳髄が本当は物を考える所であるからなのか、それともそうやってヒトを錯覚させるための遊びの部分なのか

 

この疑問ははたして脳の機能・スペックを外見上見分ける術が無い事に起因しています

例えば、人間の脳の重さ(容量)は平均的に1200~1500gという事です

脳の重さが賢さのレベルに比例するというのであれば、人間よりも身体の大きい動物、例えばクジラの脳は約8000gです

ではクジラは人間の5倍以上賢いのかと言われれば疑問符が付くでしょう

次に脳のシワ(正しくは脳溝と言います)が賢さを作り出しているというのであれば、上記のクジラは人間よりはるかに脳溝の数が多いとされています

脳の重さもシワもクジラの方が多いのです

ですが、人間の脳の機能は一般的にクジラの脳よりも多くの事が考えられている様に思われます

でなければ、こんなにも我々人間が地球上でデカい顔をして征服者であると言えません

では、脳の機能はどうやって測れば良いのか?

という疑問に立ち返る訳です

ただし、現代医学ではそれは解明でき切れていません

であるのならば、前述の通り脳髄はヒトに錯覚を覚えさせるための臓器であるという主張もあながち捨てた物ではないのかもしれません

実際に、脳に障害を負った人物が急に人知を超えた能力を発揮する人もいます

円周率を永遠に唱えられる人、一瞬見ただけで写真の様に詳細な所まで思い出せる人、一度読んだ本の内容を一文字違わず思い出せる人、これらの能力は同じ脳を持つはずの他の人間には到底真似できない代物です

有名な『キム・ピーク』という人物は、脳梁欠損といって右脳と左脳を繋ぐ部分が一部、又は全部が無いという障害を持って生まれました

現代では「神経細胞移動異常症」と称されます

その類稀なる能力とは裏腹に、生活には他者の介護が必要不可欠です

実際、キム・ピーク氏も氏の父親であるフラン・ピークの介護の元、父より先に亡くなりました

こんなにも能力の振れ幅がある事をすべて脳の機能で片づけるのは少し無理がある様に思えます

「人間の脳髄は自ら誇称している。『脳髄は物を考える処である』『脳髄は科学文明の造物主である』『脳髄は現実世界に於ける全智全能の神である』」引用

確かに、脳髄が全ての物を考える器官だったとしたら、現代社会にある全ての物は脳が作ったものでり、それはまさしく全智全能の神と称しておかしくありません

これを『唯物論』と言います

簡単に言えば、一神教多神教の関係に似ています

別の言い方をすれば、家系図を下るか遡るかする時に、上か下に行くに連れて横が短くなるか長くなるかという関係です

例えば、人類の祖である『ミトコンドリア・イヴ』を頂点として家系図を考えた時、自分から頂点を結ぶ道は一本道です

ただ、お家のお隣さんと家系図を繋ごうとした場合は、家系図を上がったり下がったりを繰り返して辿り着きます

一本道で頂点を考えるのを『唯物論』と言って良いでしょう(詳しい方からは厳密には違うと指摘されそうですが、嚙み砕いた説明なのでご容赦を)

 

さて、ここまで脳髄の機能は何かという事をつらつらと書き殴りましたが、実際の所は分かりません

脳が全ての物を作り出した全智全能の神なのか、ヒトを錯覚させるだけの器官なのか、はたまた全く違う機能を有した器官なのか…

それは現代科学・現代医学をもってしても解明できないという事です

私は、『脳髄は物を考える所に非ず』であった方がロマンがあって面白く思います

というお話でした