初めまして
melloと申します
今回は娯楽についてです
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
読書は外部要因を排除した娯楽である
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は娯楽についてです
昨今は、ネットフリックやアマゾンプライムビデオ等のサブスクリプションサービスが隆盛を極めています
テレビのUSBにスティックを挿し込むだけで、お家の大きなテレビで映画・ドラマ・ドキュメンタリー・音楽ライブ映像などなど色々と楽しめます
私も、映画やドラマは大好きです
新しい映画を見るのも好きですし、好きな映画を何度も繰り返し見るのも好きです
特に良く繰り返し見た映画などは100回じゃ利かないほど視聴したと思います
さて、昨今の映画業界はアニメや漫画の実写化が流行しています
アニメや漫画といった、一昔前であればオタク文化と馬鹿にされ
「いい大人が見るなんて」と親からも蔑みの目で見られ、学校や会社では「あいつアニメ見てるらしいよ。ロリコンなのかな?」と誹謗中傷の的でした
そういう風に、人を人格否定し攻撃し傷つけてきた社会は今や「このアニメは鬼滅のパクリ」だの「ワンピースが一番すごい」だの、デカい顔して言いふらしています
まぁそれはさておき、なぜ映画業界はそんなマイナスイメージの有るアニメ・漫画が原作の実写化を多くやるのか?
答えはこれです
こちらは、漫画『銀魂』の作者、空知英秋氏のファンの質問コーナーにて
ファンへの回答です
つまり、漫画が映像作品になろうと作者にお金が入らず、映像業界で分配されてしまっているという事です
しかし、アニメーターの給料事情というのも有名でしょう
長時間労働をして月給十数万というの話はよく聞きます
これらのお話はテレビ局側の難しい形態での悲劇です
一般に広告収入方式と制作委員会方式とに分かれ、90年代頃まで広告収入方式、それ以降は制作委員会方式が主流となりました
どちらが良い悪いという訳ではなく一長一短なのですが、制作委員会方式は1社あたりの利益が少なくなりやすいです
アニメというのは大多数の人間が関わる大プロジェクトです
スポンサー・キー局・地方局・制作会社…これらすべての人々が全員win-winな形で遂行するには、現代ではアニメの本数が多すぎますし、映像も凝りすぎです
当然どこかに歪みが出てくるわけですが、その歪みを修正するために誰かが泣き…
というのを繰り返しているのが今の映像業界になります
結果、実写映画にしろ劇場版アニメにしろ、版権者に支払えるお金の額が微々たる物になるのです
映像作品は関わる人の数が多すぎて正常なビジネスとはなり難い、では本はどうでしょう?
本の場合、関わる人は極端に減ります
作者と出版社だけです(実際はアシスタント・配送・本屋などありますが)
関わる人数が少なくなるという事は利益享受者間で格差が生まれずらいという事にも繋がります
本が売れれば、関わる人達全員が潤います
シンプルです
週刊連載漫画は作者の寿命を削って作品を作り出している
と聞いた事があります
確かに、現代漫画の絵のクオリティで毎週20ページを描く、となれば大変な重労働です
アシスタントを何人雇おうが、作者が拘りたいカットやキャラクターは自身で描くそうです
月間連載くらいでちょうどいいと思います
しかし、一度作品が出来上がってしまえば後は労せず本が売れるたびに作者と出版社にお金が支払われます
本と映像の違いは関わる人数が大幅に違うと言いました
それは作品自体にも影響を及ぼします
例えば、スポンサーに車会社が含まれている場合、刑事ドラマで作中に使用される車がスポンサーの会社の車種じゃない場合、顰蹙を買います
または、洗い物をしているシーンでスポンサーのライバル会社の洗剤を使っていると同じ様に顰蹙を買います
原作では「腕に光るロレックスが…」という記述があっても、シチズンやセイコーがスポンサーの場合、ロレックスは着けません
そういった細かい変更ではありますが、原作者の思いとは裏腹にスポンサーの宣伝をさせられる事は大いにあります(スポンサーも自社製品の宣伝の為にお金を払っているので致し方ありません)
企業の宣伝が作中に鏤められている映像作品は本当に娯楽として上等なのでしょうか?
音楽が、最初に教会にて神を崇める聖歌を作り、貴族や王族が宮廷で聞く曲になり、労働階級者でも聞ける作れる物になっていったように
芸術であるという事と普及(ビジネスとして)することは反比例するのかもしれません
という事は、作品作りに関わる人数が少なければ少ないほど芸術的であるという事を反証しているという事になります
そうなれば、究極、一人で執筆し、個人販売をしている本を購入して読むのが最高の娯楽といえるかもしれません