チェリーピッキングの危険性

初めまして

melloと申します

 

今回はチェリーピッキングについてです

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

権威に対する畏敬は必要だが、盲目的信奉はいけない

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

さて、今回はチェリーピッキングについてです

 

まず、チェリーピッキングとはなんぞや?ということでwikiから引用させて頂きます

 

チェリーピッキングとは、数多くの事例の中から自らの論証に有利な証拠のみを選び、それと矛盾する証拠を隠したり無視する行為のことである

チェリーピッキングは質の悪い科学または疑似科学の特徴であり、多くの証拠が自分たちに不利であるにもかかわらず、立場を支持するように見える範囲(狭い時間範囲、地理的地域、亜集団、年齢層)、テキストの抜粋を見つけることができるため、論理的結論を受け入れることを拒否するときにこの戦術を使用する。

チェリーピッキングの多くは意図的に行われるが、確証バイアス(自分の考えを支持する証拠だけに注目し、反証を無視する無意識の傾向)から意図せずに行われる場合もある

 

引用終わり

 

インフルエンサーの黎明期(今もかな?)、ブログやYOUTUBEといった媒体で『○○について解説します』だの『○○をしたら頭が良くなった』だのと言ったフレーズでユーザーを引き付けて、その内容が「○○大学の研究で発表された論文によると~…」みたいな流れの物が多くありました

 

しかし、実際にその中の研究内容を自分で調べてみたら、その研究とは真反対な研究結果が出たという論文も散見されます

 

そういった反対結果の出た論文を無視して○○大学でなされた研究が正義で、正解である

という風に説明する行為、これがチェリーピッキングと言われています

 

皆さんも風説の中で、「コーヒーは身体に良いのか?」という話を何度も聞いた事があると思います

コーヒーは身体に良いという論文が出た

いや、コーヒーは身体に悪いという論文が出た

いや、採り過ぎは良くないが朝の一杯くらいなら実は身体に良いという論文が出た

いや、一杯どころかカレーの隠し味として少し混ぜるだけでも身体に悪いという論文が出た

 

こんな風に何度も何度も結論がひっくり返されています

 

というか、そもそも大卒レベルの知識がある人なら分かると思いますが、『論文』というのはそんなに重たい物ではありません

ある一定の論拠(エビデンス)になるかもしれないものに過ぎません

 

論文の中身もだいたいが、~である事が判明した

ではなく

~である可能性がある、または、~である傾向がある

と〆られています

 

ここから分かる事が、論文が出た=結論が出た(答えが分かった)

ではないという事です

 

論文というのは、まず、命題に対して、仮説を立て、仮説が正しいのであればこれはこうなるはずという実験をして、実験が仮説通りにいった場合、成功となります

 

しかし、命題に対して仮説立案者が思いもよらない作用が働いていて、実験の内容ではなく違う作用により、たまたま実験が仮説通りにいった場合も成功扱いとなり、論文となります

 

そういった不確定要素、想定外要素、不認知要素、等々をすべて網羅した実験であるのであれば、実験の成功は結論が出たと言えます

 

しかし、実際に世の中に発表される多くの論文とはただ単に「実験が仮説通りにいきました」というだけの物が多いのです

 

論文を用いて、分かったような口調で、上から目線で、確定的な物言いをするインフルエンサーは多く、また、ユーザーもそのインフルエンサーの発信を見ただけで分かったような気になっているという構図が多く見受けられます

 

私が多く引用させて頂いているwikipediaの歴史をご存じでしょうか?

wikipediaの前身はnupedia(ヌーぺディア)と言います

ヌーペディアは、記事の執筆と査読をボランティアの専門家だけができるシステムでした

間違った事を書けないという事は、そっくりそのまま記事数の低下を招き、名前の通りの百科事典とはいかず、サービス開始からわずか3年の運用をもって閉鎖されました

3年間で書きあがった項目はわずか27本であり、百科事典にしてはなにも調べられない物でした

そこから、世界中の誰でも執筆・改変が出来る(人物の記事であれば本人は改変できない)今のwikipwdiaが新たに立ち上がりました

今現在、wikipedediaの純記事数は6000万記事、総項目数は2億5000万個に上ります

間違いなく現在の形の方が成功を収めています

が、誰でも執筆・改変が出来るという事は、間違った事が平然と書かれている可能性があるという事でもあります

 

世界中で権威性のあるwikipedediaですら、嘘や間違った事が平然と書いてある可能性があるというのに、見も知らぬインフルエンサーの言葉に全幅の信頼…ましてや盲目的に信奉してはいけないのです

 

権威に対する畏敬や尊重は必要だし重要ではありますが、その権威性に対する疑いの目というのは常に持っていなくてはいけないと思います