初めまして
melloと申します
今回のテーマは『世界共通語』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
言語には、その土地ならではの言葉や文化や伝統があり、それらを利のみで排除させる事は不可能
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は世界共通語として人工的に製作された言語『エスペラント語』についてです
私は幼い頃、テレビで海外の朝食を紹介する番組を、良く好んで見ていました
朝食だけでなく、その場所場所での珍しい風習なども紹介されていて楽しくみていた記憶があります
私はそんな事もあり、海外への旅(今で言うバックパッカー)に強い憧れがあった時期もあります
ただ、私の家は貧乏だった事もあったり、私自身が外国語を習得出来るとは思えなかったり、社会人になってからはわざわざ海外まで行かなくて良いかと意欲が減退したりと、色々(主に私自身のせいですが)な事があって、結局海外に旅に出た事はありません
海外に行った時に最も困るのはやはり言語です
日本は単一民族であり、日本国に於いてしか使用されていない日本語を話します
そして、世界的に話者が多い英語とは、文法的に大きな乖離があるため、日本語と英語は全く別の言語として記憶しなければなりません(ヨーロッパ圏の言語は結構似通っていますので、他国国語を覚えるのは容易であると聞きます)
なので、世界中を旅したいと考えた時、頑張って英語をマスターしたとしても、旅をする国は英語圏に絞られてしまうという事です
そんな事を幼い頃に夢想していた時に、はと思いつくアイデアがありました
「世界の皆が分かる言語を一つ作れば良いんだ」
まぁ、そんな幼い人間の思い付きのアイデアなんて誰にも届きませんし、実際私も誰かに熱弁したという記憶もありません
また、私程度の人間が思いつく程度の事は世界の賢人達は、とうの昔に思いついています
その名も『エスペラント』と言います
『エスペラント』だけでは人名なのか建物名なのか何なのかが一目で分からないので、後ほど『語』がつけられたらしいです
待望の世界共通語が生まれたという事は、世界中で言語コミュニケーションでのトラブルが無くなったのかと言われればそうでもありません
そもそも、今現在、エスペラント語を第二言語に選んでいる人は世界で100万人程度しか居ないようです
すばらしい言語であっても、話者が少なければその優位性は発揮できません
言語というのは互いが理解出来ていなければ意味がないのです
また、言語というのはその国独自の文化であり、長年続いてきた伝統と紐づいている事も珍しくありません
言語自体にアイデンティティーを持つ民族も多くいます
それらを全て取り上げてまで「こっちの方が(自分たちが)便利だから使え」と強制するのは、明らかに非人道的な行為です
相手が望まぬコミュニケーションを取る為に、相手が望まぬ言語を理解しろというのは道理が通りません
では、相手が利する場合は非人道的ではないのかと言われればそれもNOです
合理だけでは無い感情がそこにはあって、言語を愛するというその姿勢は誰にも侵害されないものなのであります
というお話でした