治験の人気に思う事

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『治験生活』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

崇高な志のある治験ではなく、報酬に釣られて繰り返し治験に参加するのは、貧困層が自らの血や髪を売って生活しているのと同義である

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は治験に関してです

一時期、安易にお金を得る手段として、治験が話題になっていた時期がありました

確かに、治験というのは、特別な能力や資格の必要の無い所謂普通の人が望まれる場所ではありますので、そういったスキルが無い人からしたら魅力的には思われる場所ではあります

国内の治験であれば、もう既に海外では常用されている薬であっても再度国内治験を以って国内に流通させる法整備がなされているので、限りなく安全な治験というのも存在しております

薬機法上、国内で行われた治験を介さない薬は正規に認められませんから、健康保険等でも使用出来なかったりもします

そういった「海外では当たり前に使われている薬」であっても、新たな治験対象となりますので、そういうのに当たれば運良く、特別なリスクを負う事無く多額の報酬を得る手段としては優秀に思えます

さらに高い報酬を求めて海外治験に参加するという手もあります

特に薬大国であるアメリカの治験なんかでは、報酬額が文字通り桁違いに高い事もあります

海外治験とは言っても、特別にリスキーな薬を試されるという訳ではなく、死亡事故はおろか、体調が悪くなった等の後遺症が出る事は本当に稀です

せっかく自らの身体をモルモットにするというのであれば、桁違いの報酬を求めて海外治験に参加するというのもアリなのかもしれません

 

私は、古い人間と思われるかもしれませんが、基本的に薬は信用しておりませんし、出来るだけ飲みたくないと考えています

また、医者にかかるのも出来る限り避けたいとも考えています

つまり、基本的に西洋医療を信用しておりません

『医は仁術』と言います

仁…つまりは思いやりや愛という事です

確かに「苦しんでいる人を救いたい」この思いは清く正しく美しい物でしょう

一方でパロディとして『医は算術』とも言います

医療業界にかかる莫大なお金の事を指しています

新しい医療機器、新しい薬、新しい手術、これらに人類は莫大なリソースを割いています

上記の治験もその一環と言えます

新薬を投与して効果を観測するために何十人何百人に同じ薬を投与し、又、同じ薬を投与しますとだけ言って何の成分も含まれていない錠剤を投与し(プラシーボ観測)、その一人一人に莫大な報酬を支払うのです

そして、製薬メーカーはそれでも莫大な利益を上げられる構造となっております

ジェレミー・シーゲル教授の緑本、『株式投資の未来』では、儲かるセクターとして

1ヘルスケア(製薬セクター) 2生活必需品 3エネルギー

と書いています

セクターとして、最も儲かるのは製薬セクターであったとしています

上記の様に、研究開発に莫大な予算をつぎ込んだとしても、それも賄って余りある利益が生み出されているという事です

 

人を救う医療の発展に寄与したい、そういった崇高な志の元、治験に参加するのは否定しません

確かに、世界には労働をせずに治験の報酬だけで生活し、旅行まで趣味にしている人もいます

そういった人の人生を否定する訳ではありません

ただ、私個人としては、お金欲しさに治験に参加するというのは、貧困な家庭に生きる人間が職場もなく、金銭を得る手段が他に無いからと自らの髪や血を売っているのとダブるのです

日本には少なくとも、非正規であれば食うに困るほど求人が無い訳ではありません

何歳であっても、職を選ばなければ仕事はあります

特に昨今はどの業界も『人手不足』を叫んでおりますから、この状況はちょっとやそっとでは変わらないでしょう

わざわざ、治験を選んで自らの身体をモルモットとして提供する必要は無いのではないかと考えます

というお話でした