初めまして
melloと申します
今回のテーマは『死刑制度』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
当たり前の価値観を当たり前に共有できない他人が存在している限り死刑制度は必要である
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は死刑制度についてです
死刑制度は先進国では次々と廃止の流れです
特に西洋では人権意識や宗教上の観点から、囚人であっても一定の生活水準が約束されていたりします
こちらはデンマークの刑務所です
東京で薄給で働いて何とかワンルームで生活している通称うさぎ小屋と変わりはありません
海外の人から見たら、日本人が多く住むワンルームはペットのウサギ小屋に見えるという揶揄です
こんな部屋で一体何を反省するというのでしょう何が贖罪されるというのでしょう
我々日本人からすると全く理解が出来ませんが、外国事情ですので完全に理解する事など元から不可能であると思います(私はそもそも日本人同士であっても他人を完全に理解する事など不可能であるという立場ですが)
ですが、日本の法曹界では「死刑制度が残っているのは日本の恥であり、日本人が野蛮であるという証左である」という主張をしております
政治家が税金を上げる時に使う言い訳の「海外では~」と全く同じ主張です
日本と海外では状況が違うというのは考慮されていないのを理解していないのか理解していてもあえて無視しているのかは不明ですが、この死刑制度の廃止は少なくとも日本に於いては間違った考え方であると言わざるを得ません
それは弁護士の総意ではなく、日弁連に巣くう活動家の主張であり、法律的に正しい主張という訳ではありません
東池袋自動車暴走死傷事故で有名な飯塚幸三は、あれだけ世間を騒がせて裁判に長らく時間をかけて、あたかも国に守られているかの様な印象を与えました
その時に流行った言葉として『上級国民』などという流行語も生まれました
法曹界的には裁判というのはこのくらい時間がかかるのは当たり前であり、被疑者が高齢であり身体的に弱っているのであれば、あれくらいに配慮は当たり前の事という共通認識があったと思われます
ですが、一般国民からしたら裁判に関わる事がある人は少ないですから、悪意を持った権力者が牛歩戦法かの如く、時間をかければ国民は忘れるだろうと思っていると考えて何度も何度も炎上しました(つまりは陰謀論)
何が言いたいかと言いますと、一般国民と法曹界の常識がここまで乖離しているという事です
日本という国は民主主義です
民主主義というのは国民主体の国家という事です
という事はつまり、国民意識とあまりに乖離した法律というのはあってはならないのです
国民の代表者たる政治家が法案を提出し、他の国民の代表者たる政治家達で多数決を取り合否を決め、国民に仕えるべき公僕である官僚が清書し、国民に対して施行されます
『日本は犯罪者に甘い』というのは昔から言われています
これは日本は諸外国に比べて犯罪率が少なく、治安も安定していて、国民も助け合いの精神が充実しているからこそ、犯罪に対する量刑が少なくとも何とかなっていたという側面があります
そもそも、刑務所は『犯罪者の更生施設』であり『犯罪者の隔離施設』ではないのです
国としては、犯罪を犯した人間であってもその後更生し、仕事を持ち、家庭を持ち、納税して欲しいと考えています
国民としては、犯罪者は痛めつけられ、差別的に見られ、生涯恥を背負って生きて欲しいと考えています
国と国民ではこの時点で利益相反の関係性と言えます
そして、最終的には大きな犯罪行為を行った人間に対して死刑が課せられます
死刑というのは国にとっては税金を使って国民を殺す行為です
まったくもって損しかしない行為です
ですが、こういう風に犯罪者を罰しないと、真面目に生きて納税をしている国民からの反感を買います
真面目な国民が国に不信感を持って、大量に国外に移住してしまうかもしれません
悪い人間はキッチリ罰する、その制度が司法制度です
そしてその最大級の罰が死刑です
その最大級の罰を無くしてしまうというのは、国が真面目な国民よりもとりあえず国民の数が大事と言っているのと変わりません
それはあまりに国民を馬鹿にした話です
国民が主体の国家とは思えない態度です
だからこそ、死刑制度は司法制度の敗北ではあるが、それでも死刑制度は必要である
と言えるのです
当たり前の価値観を当たり前に共有できない他人が存在している限り、最大級の罰である死刑制度は必要である
というお話でした
追記 フランスの刑務所
Prison cell in France 🇫🇷 pic.twitter.com/57GLSJCY3z
— Clown World ™ 🤡 (@ClownWorld_) 2024年2月17日