初めまして
melloと申します
今回のテーマは『将棋と麻雀の文化の違い』です
結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます
競技人数が4人と2人、運の介入要素の有無等もあり、ルールに相違があるのは仕方がないが、もっと醸成されるべき部分は有る様に思う
内容が気になった方は引き続きご覧ください
さて、今回は麻雀のルールについてです
私は幼少の頃に将棋と出会い、ずっと将棋の世界観と共に育って来ました
そんな私が数年前に麻雀にハマり、自身の対局だけに飽き足らず、プロの対局を見たり調べたりもする様になりました
そこで、所謂『将棋界』から見た、麻雀のルールの違和感的な物について書いていきたいと思います
記事中、どうしても将棋寄りな文章になってしまうのは、私が将棋に触れていた期間が麻雀に触れていた期間よりも多い為です
さて、麻雀プロの対局には、事例は挙げませんが珍事件と呼べる事件がいくつかあります
その一つが『三味線疑惑』です
三味線とは、対局相手を惑わす行為としてルール違反であるとされています
私からすれば『三味線をして何が悪いの?』という意見です
『下家が溜息と共に対面の現物を切った』という行為を、勝手に『下家は降りたな』と判断しただけです
溜息を吐いたから出和了してはいけないなんてルール、おかしいと思いませんか?
将棋界には『形作り』という風潮があります
プロ棋士同士の対局では、深い所まで読んだら一手勝ち(負け)になるけれど、アマチュアやそれほど棋力の高くない人が見たら一方的に勝った(負けた)様に見える時があります
そういった時に、一手負けした側は負けと分かっているものの、一応寄せ手順を行い、あと一手空けば勝っていたんだよ、というのをファンの人にも分かりやすい形を作る事を『形作り』と言います
そういった場面になると、プロ棋士同士は「あっ、形作りに入ったな」というのは誰もが分かります
そこで対局相手が受け間違ってそのまま詰みになる事が稀にあります
ですが負けた相手が「形作りに入っていたんだから俺の勝ちだろ」なんて言う人は居ません
麻雀界における三味線行為とは、将棋界の形作りと似ています
ですが麻雀に於いては三味線行為はルール違反として処罰されます
三味線に放銃したのは自身の読みが甘かったからなのにそれを人のせいにして、その人をルール違反とするのはおかしいと思います
次に、麻雀はプロの対局に『持ち時間』という概念が無い事です
囲碁・将棋・チェスというゲームに於いては、その考慮時間が厳格に定められています
対戦相手が指し、自分が指すまでの間の時間が厳密に測られていて、あらかじめ定められた時間内で済ます事を求められます
例えば有名なタイトル戦である名人戦で言えば、持ち時間は9時間、持ち時間を使い切った後は一手一分未満で指し続けなければなりません
この時間を超過してしまうと、その時点で負けとなります
ですが麻雀に関してはそれらのルールが一切ありません
一応『スムーズに進行する事』という暗黙の了解があるものの、頭脳ゲームである以上どこかの場面でじっくり考えたい局面というのは現れるはずです
そんな場面に於いて、現状は『いくらでも時間を使って良い』事になっています
プロの対局という事を考えればこんな事態は明らかにおかしいです
ポンやチーの存在が持ち時間を厳密に計る上で難しいのは分かりますが、この点はスグにでも改めるべきと考えます
最後に、主催団体によってルールが変わる事です
喰いタンの有り無し・一発や裏ドラの有り無し・頭ハネかダブロンか・アガリ辞めの有り無し・途中流局の有り無し(四風連打など)・聴牌親流れか連荘か・責任払いの有り無し・トビありトビなし
などなど、まだまだ有りますが主催団体によってルールが違っているのが現状です
『有名タイトルを獲得した』と聞いても、そのタイトルを主催している団体のルールを理解していないと凄い事なのかどうかも分かりません
現状、これだけ多くの団体がそれぞれ個別にプロを任命し、個別にタイトル戦を主催している以上、視聴者としては何が最も優れているのかの判断は困難です
これに関しては麻雀プロというのが複数の主催団体を持つ事に起因していますので、主催団体を統一する事が望まれますが、権力闘争的に難しい事なのでしょうね
ですが、この複数の麻雀プロ団体が存在している事自体が麻雀の『格』を下げている事に繋がっている事は確かですから、麻雀を将棋や囲碁やチェスなどと同格と扱う方が間違っているのかも知れません
麻雀はどこまで行っても、どんなルールにした所で、結局『運』が介入してしまうゲームなので致し方無いのかも知れません
雀力が低い人が高い人を運だけで圧倒する事もあるゲームでは、スポンサー探しも難航するでしょうし、格式高い競技とするのに無理があるのかも知れません
今すぐ出来るルールの改定はすぐにでも改定すべきですし、そうしないと不公平な状態がこれからも長く続くのではないか?と考えます
というお話でした