宗教の否定は不遜に過ぎる

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『宗教について』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

宗教を否定するというのは、人類こそが最も崇高であり、何なら自分より優れた存在は有り得ないというあまりに驕り高ぶった考え方である

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は宗教についてです

宗教の歴史は古く、紀元前より存在しています

そもそも、紀元という言葉自体がキリスト教イエス・キリストの誕生年を表しています

他にも何気なく口にする言葉や習慣の端々に宗教用語や宗教儀式の名残があったりしていて、それらは日常に溶け込んでいるのです

食事の前の『頂きます』や食前の祈りなどもそうですね

科学が成熟する前はそういった超常の存在という物を畏敬する事により、心の平静を保っていました

時代は流れ、科学が世界を席巻する様になり、もはや宗教の役割は終えたかの様に言っている人も多く居ます

では人類は自然に存在する全ての事を科学でもって解き明かしたのでしょうか?

答えはNOです

現代の科学をもってしても解き明かせない謎というのは無数に存在しています

それなのにも関わらず『宗教は価値が無い』と断ずるのはあまりに早計・稚拙に過ぎます

現実問題、人類がもっと劣悪な環境に居た時代に比べて自死率というのは上がっています

宗教というのは心の拠り所になり得る物です

それを取っ払って人類の死亡率を上げるのは馬鹿の所業です

宗教の否定は世界に遍く全ての問題の解決を見てからでも遅くはありません

宗教は、その経典に於いて、基本的に信者に対し正しい道を指し示してくれます

ユヴァル・ノア・ハラリ氏のベストセラー

サピエンス全史にてこの様な記実があります

『身体的に他の類人猿に劣っていたホモ・サピエンスが時代の覇者となれたのは、種族間で同じ勘違いを共有してきたから』

宗教の否定とは、つまり人類の進化の否定となり得ます

ギャンブルやテーブルゲームが苦手な人間にありがちなのが、分からない事に悩み・苦しむ事が苦手、というのがあります

すぐに正解を欲し、そこに至るまでのプロセスを放棄して、反省や復習をしないのです

こういった人は、分からない物をいくら考えても分からないのだからそんな事に頭を使うのは馬鹿だ

と言うでしょう

しかし、分からない事を分からないまま考え続けるというのは人類の進化の過程には必ず必要となる能力なのです

これを否定するのは、人類の進化の否定、延いては自らが最も崇高な考えを持っているという驕りに他なりません

というお話でした