旅行という趣味は建設的ではない

初めまして

melloと申します

 

今回のテーマは『旅行趣味』です

 

結果だけ知りたい方向けに結論を先に書かせて頂きます

 

移動した先に『何か』があるのではなく、移動の過程にこそ旅行の醍醐味はある

 

内容が気になった方は引き続きご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回は旅行についてです

コロナ禍以前に流行った趣味として『旅行』という物があります

EU諸国を巡って、古代の美術品や建築物を鑑賞したり、アジアや中東等に行って珍しい文化に触れたり、という趣味が盛んであった時期があります

『インドに行ったら世界観が変わった』なんて言葉は誰しもが聞いた事があります

ですが、旅行というのはそもそも、何か目新しい物でもなければ、何か建設的・生産的な物でもありません

ただ人が、A地点からB地点に移動したというだけであり、そこで触れた文化というのは『観光客向け』の文化であり、そこに定住する人間が確かに触れて生活している文化ではありません

アニメ好きの人間が全員が全員、聖地巡礼する訳では無い様に(往夫にして『にわかファン』ばかりが聖地巡礼している様に)、実際問題現地に定住して生活している人間からしたら全く別物であるというのは良くある事です

今や、マサイ族ですらスマホを持つ時代です

旅行先に過剰なステレオタイプを求めるのも結構ですが(観光としては)、普通に考えて未だに動物を狩って、それだけで生きている訳ではありません

旅行という趣味は、そういった、旅行先の人間が『私たちはこういう生活をしています』というエンターテイメントを提供しているだけに過ぎません

絶景が見える旅館というキャッチフレーズがありますが、日本全国、どこの田舎であれ絶景は存在しております

わざわざ馬鹿高い旅館費用をかけずとも絶景は拝めます

多くの山には登山ルートとは別にロープウェイ施設があったりもします

わざわざ苦労して登山する必要もありません

 

ではなぜ、人は『旅行』という趣味に夢中になるのか?

それはひとえに旅行の過程に価値を見出しているからです

とある美術品が見たいというだけでも、とある山の山頂の光景が見たいというだけでも、今は写真や映像が検索すれば幾らでも出てきます

であるのに実際に現地に行きたくなるというのは、道中の苦労を自ら買って行く様な物であり、人はその道中の苦労をこそを価値あるものと感じているからです

私は以前はバイクが好きで、片道200~300kmくらいのツーリングを良く行っていましたが、行先に大した思い入れはありません

その道中のである道にこそ思い入れがあります

「○○号線のこの辺りのルートはアスファルトが波打ってて走るのが怖かったな~」

「○○道路の山を抜けるルートでは道路上に動物が出てきたなぁ」

「○○ラインは良く対向車線のバイクがヤエーという挨拶をして来ていたな~」

など、色々あります

それを知ったから・経験したからどうなんだという話です

特にそんな経験をしなくとも人生は変わりません

特にプラスになる事もマイナスになる事もありません

ただ楽しかったという記憶が残るのみです

つまり、旅行とは、移動した先に『何か』があるのではなく、移動の過程にこそ旅行の醍醐味はあるのです

というお話でした